hituziのブログじゃがー

あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

障害認識を 革命すれば「障害者」の表記など 問題ではない。

 「障害認識の パラダイムを 転換すれば「障害者」の表記など 問題ではない」と表現しても いいです。

 うえの記事に 宿題を いただいていたのですが、ずっと反応できずに いました。うえの記事でid:y_arimさんは「障害者」や「障がい者」という表記の問題点を 指摘し、「障碍者」と表記することを 提案されています。
 わたしは8月26日に、うえの記事に つぎのようにコメントしました。


「しょーがいしゃ」という ことばは、さまざまな たちばにある ひとが、つかっていますよね。名ざす側も、名ざされる側も。


名ざす側の倫理として議論するのも いいのですが、名ざす/名ざされるという関係を こえて、「名のる」ことばでも ありますよね。自称としてね。


どのように表記するにせよ、音にすれば全部「しょーがいしゃ」です。不具者などは べつとして。


こういうときは、すてきな えらびかたが あります。自分が尊敬する「しょーがいしゃ」が、「しょーがいしゃ」という ことばを どのように表記しているのかを 参考にするという方法です。


たとえば わたしなら、石川准(いしかわ・じゅん)さんを 尊敬しているので、わたしが つかう表記は障害者です。石川さんに ならってね。



障害については、『障害学への招待』『障害学を語る』『障害学の主張』『障害学-理論形成と射程』『障害学研究』(1-3号)などの基本文献が ありますが、わたしの おすすめは『性同一性障害社会学』です。『身体の社会学のブレークスルー』も刺激的です。ふるい本では『排除と差別のエスノメソドロジー』が おすすめです。


表記改革の歴史については、『国語審議会-迷走の60年』が てっとりばやいですね。表記改革だけでなく、漢字についての基本的な知見に ふれることが できる文献として『占領下日本の表記改革-忘れられたローマ字による教育実験』が あります。


わたしは本を 紹介するのが すきなので、こういうコメントを かきましたが、わたしなりのコメントは、記事にしてトラックバックで おくります。ごゆるりと おまちください。

 ほんとうに、ごゆるりと おまちいただいてしまいました。


 社会問題として 障害と むきあい、健常者中心主義の社会のありかたを といなおす議論を しているのが、障害学です。障害学については、「非健常者として、健常を問う」 - hituziのブログじゃがーで おおまかに論じてあります。


 1999年に『障害学への招待』という論文集が だされ、『障害学を語る』『障害学の現在』『障害学の主張』といった論文集が つづきました。障害学会が 2003年に 設立され、『障害学研究』という学会誌が 刊行されています。現在、4号まで でています。


 障害の問題を 社会学的に、政治的に 論じているのが障害学であり、そのなかで、「「配慮の平等」という視点」も 提示されてきたわけです。


 ですから、しょうがいしゃ という ことばを どのように表記するかという問題においても、障害学の議論が参考になるかと おもいます。障害学は 障害当事者が 中心になって その理念を かたちづくってきたものです。専門的な学問であるからではなく、障害者運動の歴史の うえに なりたつ ネットワークであるからこそ、障害学に 注目する 意義が あるのです。


 今回は、『支援の障害学に向けて』現代書館という本をとりあげることにします。この本の 編者のひとりである横須賀俊司(よこすか・しゅんじ)さんは、障害を めぐる用語について、その方針を つぎのように のべています。


…イギリス障害学では “people with disability”[「障害のある人」「障害をもつ人」という意味。引用者補足] ではなく、 “disabled people” と表記する。この表記には、社会によって disable されている、すなわち無力化されている人たちという意味が込められている。このようなことから、「障害のある人」といった表記をとらないことにした。
 「障害のある人」という表記の他にも、平仮名を用いて「障がい者」「しょうがい者」とされることもある。…中略…しかし、障害を個人の属性ではなく、イギリス障害学のように、社会がもたらすものと捉えるならば、必ずしも「障害者」にネガティブなイメージは付与されない。
(16ページ)


 「障碍者」という表記については、つぎのように論じています。


しかし、「害」を「碍」に変えることの意味は全くない。漢和辞典を開いてみると「害」は「碍」の替え字として用いられることがあるというから、意味としては同じようなものであることがわかる。…中略…
 本来ならば、イギリス障害学の “disabled people” を適切に訳した「無力化された人びと」を使用することがいいのかもしれないが、それでは意味が通りにくい。そのニュアンスを伝えるべく「障害をもたらされている人びと」としても同様である。これらのことから、現在使われている中で比較的ニュアンスが近いと思われる「障害者」という言葉を基本的に用いることにした。
(17ページ)


 つまり、たいせつなのは、障害者とは、だれのことであるのかということだ。どのような社会的現実があって、「無力化」され、障害が 意識されるのか。社会のありかたを とわずに、障害者の表記だけを かえてみても、障害認識が 改善されることはないし、健常者中心主義は、びくともしません。


 まず ぜひとも、障害学に であってみることで、自分のなかの健常者中心主義と むきあい、社会を 革命していきましょう。


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