きょうは、わたしの卒論の一部をご紹介します。
「現代日本における「識字」のイデオロギーと漢字不可欠論」から「3.1.3. エリートのためのシステム−必然的な「おちこぼれ」」です。こまかな表記だけ訂正しましたが、あとは原文のままです。卒論の全文をよみたいひとはメールしてださい(abeyasusi@gmail.com)。ただし、引用部分を再引用しないことだけ、お約束ください。引用に まちがい(誤字脱字)が たくさんありますので…。
3.1.3. エリートのためのシステム−必然的な「おちこぼれ」
ここで、問題にしたいのは、このように、ひらがなとカタカナ、それにくわえて1000字以上の漢字のよみかきを、最低限の「識字のレベル」とするのは、はたして妥当といえるのかどうかである。
まず、戦後の1948年におこなわれた大規模な識字調査の結果についてみてみよう。
この調査であきらかになったのは、「文盲率」自体は2.1%だったものの、ほとんどのひとが、じゅうぶんな よみかきができていない、ということであった(のむら1988:183-185)。
もちろん、いま現在では、大衆のよみかきの水準は、このときよりも あがっているだろう。しかし、高学歴化にともない、大衆が教育をうける期間がのびたといっても、日本語表記のむずかしさは依然かわりない。
いのうえ・ふみお(井上史雄)は、つぎのようにいう。
日本語の漢字の よみかきは、ひじょうに「むずかしい」。「成人の日本人」でも苦労している。しかし、ろくに漢字のよみかきができなければ、それは、「はずかしい」ことである。だれもが、このように意識しているはずだ。
日本語の文字の難易度は圧倒的に高い。文字が日本の最大の貿易障壁といってよい。成人の日本人でも読み方に迷う。誤字を書くと教養を疑われ、時には人格までも低く評価される(いのうえ2001:178)。
とはいえ、ワープロの登場で、文章をかくのも楽になった。漢字は「かく」ものから、「えらぶ」(漢字変換のこと)ものに なった。この意義はおおきい。
しかし、その反面、ワープロになれてしまうと、てがきのさいに漢字がかけなくなるといわれる。これは本来このましくないことであろう。しかし、かんがえようによっては、それもワープロの「いいところ」なのかもしれない。
それは、いのうえが、つぎのように かいていることからも うかがえる。
このように、漢字がかけないときの「言い訳」にも、ワープロは便利なのである。このまま、ワープロが いままで以上に普及し、「てがきで漢字がかけなくても、「はずかしい」ことではないのだ」、という意識がひろまれば、だれもびくびくせずにすむ。そうなれば気も楽になるはずで、ワープロの意義は、その意味でもおおきい。
手紙やメモなら辞書を引いてから書ける。困るのは大勢の見ているところで黒板に書くときである。最初の運筆を間違うと書けなくなることがある。そんなときには「ワープロを使いはじめてから書けなくなった」と言い訳する。もとから書けない字でも同じ言い訳ができるのはありがたい。(同上:179-180)。
さて、ここで、もうひとつ みのがせないのは、大学の教員でさえも、漢字がかけないことがあり、ふだんも辞書がてばなせない、ということである。大学でおしえている研究者であれば、一般のひとよりも、よみかきについやしている時間は、圧倒的にながいはずだ。それにもかかわらず、生徒のまえで漢字がかけず、「はずかしい」というおもいから、「言い訳」をいいながらごまかしているのである。これは、いのうえ ひとりの おもいでは ないだろう。
このように、大学の教員でさえ うまくつかいこなせていないシステムを、社会全体にひろめて教育するなどということは、はじめから無理がある。これを「超エリート主義」とよんでもいい。ましこ・ひでのりは、「よく、「おちこぼれ」わ「おちこぼし」なのだと、公教育制度のせーにするひとがいるが、それわ、「みんなが、楽譜お、よめるよーに」とゆーのとにた、できもしない偽善であり、「つめこみかた」がわるい、といっているのにひとしー」という(ましこ1993:150)。「おちこぼれ」は必然的なことであり、教育の しかたをくふうすれば解決できるものではないのだ。
引用文献
- いのうえ・ふみお(井上史雄) 2001 『日本語は生き残れるか』PHP研究所
- のむら・まさあき(野村雅昭) 1988 『漢字の未来』筑摩書房
- ましこ・ひでのり 1993 「差別化装置としてのかきことば―漢字フェティシズム批判序説」『解放社会学研究7』日本解放社会学会
文章が わかいですねえ。いまでも わかいけど!
いのうえさんの本には、「ある学者はそんなときには黒板にカナで書いて、「各自でカナ漢字変換しなさい」と言うのだそうだ。漢字を書く難しさを語るといってよい」とあります(180ページ)。
べつに漢字になおさないといけないものでもないのですから、「漢字に変換したいひとは、各自で変換してください」と いえば いいわけですね。
- 漢字って むずかしいよねー。
- パソコンつかうから、ますます かけなくなったよねー。
- てがきするときは、漢字で かかなくたって いいよねー。
- パソコンで文章をかくにしたって、そんなに漢字つかわなくても いいよねー。
ということで、みんなで いいわけしましょう。ワープロばんざい。
ちなみに、田中良太(たなか・りょうた)さんが 1991年に『ワープロが社会を変える』中公新書という本をかいています。いまでも よむ価値のある すばらしい本です。
- リンク1:「識字のユニバーサルデザインにむけて」 - hituziのブログじゃがー
- リンク2:野村雅昭(のむら・まさあき) 2008 『漢字の未来 新版』三元社