かどや ひでのりと共編著を だしました。
「識字」と「非識字」を どのように認識するかという問題、日本の識字率に まつわる幻想について、文字を かくということ/よむということの身体性と社会性について、識字運動を 障害者運動や障害学の視点から とらえなおし再検証する こころみ、識字問題への公共図書館の役割について、文字が よみかきできなくても社会生活で こまらないような社会にするには どうすれば いいのかについて かいてあります。読書案内と さくいんもあります。
- 第1章 日本の識字運動再考
- 第2章 均質な文字社会という神話―識字率から読書権へ
- 第3章 てがき文字へのまなざし―文字とからだの多様性をめぐって
- 第4章 識字率の神話―「日本人の読み書き能力調査」(一九四八)の再検証
- 第5章 近世後期における読み書き能力の効用―手習塾分析を通して
- 第6章 識字は個人の責任か?―識字運動でかたられてきたこと、かたられてこなかったこと
- 第7章 識字問題の障害学―識字活動と公共図書館をむすぶ
- 第8章 識字のユニバーサルデザイン
- 第9章 識字の社会言語学をよむ―あとがきにかえて
くわしい もくじは うえのページで ご確認ください。
生活書院さんは、いい本を どんどん だしています。ご注目ください。
『社会言語学』という雑誌があり、2001年から毎年 1冊ずつ発行されています。この雑誌の編集長をしているのが かどや ひでのりで、わたしは2号から参加しています。
わたしの担当部分は、つぎのとおりです。
- 第2章「均質な文字社会という神話―識字率から読書権へ」83-113ページ
- 第3章「てがき文字へのまなざし―文字とからだの多様性をめぐって」114-158ページ
- 第7章「識字問題の障害学―識字活動と公共図書館をむすぶ」257-283ページ
- 第8章「識字のユニバーサルデザイン」284-342ページ
- 第9章「識字の社会言語学をよむ―あとがきにかえて」343-365ページ
2章は、2006年の論文に こまかな修正を くわえたもの、3章は、2003年の論文に かきくわえたもの、8章は、「識字のユニバーサルデザインにむけて」を 土台にしています。7章、9章は 完全な かきおろしです。
2章は ナショナリズム批判、3章は 文字を かくということ、7章は 図書館員の山内薫(やまうち・かおる)さんへの応答、8章と9章が まとめというかんじでしょうか。
「図書館員の山内薫(やまうち・かおる)さん」と いわれて ぴんと こないひとは、『社会言語学』10号の論文、
山内薫「公立図書館での読み書き支援サービス」『社会言語学』10号、39-53ページ
を、ぜひ よんでみてください。『社会言語学』10号には、山内さんの『本と人をつなぐ図書館員―障害のある人、赤ちゃんから高齢者まで』の書評も のっています(評者:山下仁(やました・ひとし)、211-214ページ)。
ぱっと みた印象では、わたしばかりが かいている印象を うけやすいのですが、じっさい そうなのですが、本文を じっくり よんでみると、かどや ひでのり(はじめに、1章)、角知行(すみ ともゆき、4章)、鈴木理恵(すずき りえ、5章)、ふくむら しょうへい(6章)の 4人が それぞれ説得力のある論述を しているので、どのパートも かかせない重要な役割を になっていることが おわかりいただけるでしょう。
なお、発行は『識字の社会言語学』よりもさきになりましたが、『社会言語学』10号に「識字のユニバーサルデザイン」を 補足する議論を まとめました。なお、こちらの論考も「識字のユニバーサルデザインにむけて」と 内容が かさなる部分があります。
あべ・やすし「日本語表記の再検討―情報アクセス権/ユニバーサルデザインの視点から」『社会言語学』10号、19-38ページ
なお、つぎの ふたつの論文も おすすめです。
- なかの まき「書字教育と書写教育―書写・書道教育の社会言語学序説」『社会言語学』10号、1-18ページ
- 砂野幸稔(すなの・ゆきとし)「リテラシー再考―多言語社会における「識字」を考えるために」『社会言語学』10号、55-70ページ
たとえ それが少数の意見であっても、それぞれ少数の実践であっても、「識字のユニバーサルデザイン」という おおきな文脈に位置づけ とらえなおしたとき、とても ちからづよいものになるのではないか。そのように かんがえ、さまざまな実践を 紹介しました。
問題の全体像を えがけたという達成感は まだ ありませんし、たくさん とりのこした課題があります。それでも、日本社会の文脈に もとづいて「文字をよみかきするということ」を といなおす1冊として、魅力的な内容に しあがったと自負しています。
あべ やすし