hituziのブログじゃがー

あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

漢字は、まちがえるのが あたりまえ。

 うえの文章と あわせて よんでください。


 ともだちに『カナ ノ ヒカリ』2009ネン、ナツ ゴウ(944ゴウ)を もらった。


 『カナ ノ ヒカリ』とはザイダン ホウジン カナモジカイの機関誌です。購読すると2部もらえるので、購読している ともだちに もらっています。


 さて、つぎの文章を 紹介します。

  • フジワラ タダシ「首相の漢字力不足と文化審議会の認識不足」『カナ ノ ヒカリ』944ゴウ、2-3ページ


 フジワラは、麻生太郎(あそう・たろう)が「国会答弁などで 漢字の ヨミを たびたび まちがえたことが 報道され、話題に のぼった」こと、その「マチガイ」を 紹介し、つぎのように かいている。

 これについて、首相は「マンガ ばかり よんで いるからだ。」などと 批判され、また、「麻生太郎を、『あほう(阿呆)たろう』と よむ ヒトが いる。」などと からかわれた。地モトの 小学校では、漢字の ヨミが ニガテな 小学生に 対し「(麻生)太郎ちゃん」という「屈辱的な アダナ」を つける ことが はやった そうだ。

(2ページ)



 なんとも いやな はなしだと おもう。漢字を まちがえたら「太郎ちゃん」だなんてね。


 「だれかが 漢字を まちがえたら ばかにする」というのは、もはや「日本語の文化」として定着してしまっている。これは やめるべき風潮だ。


 わたしの文脈は あくまで「だれかが 漢字を まちがえたら ばかにする」のは やめるべきだということにある。それが だれであろうと、こんな ふざけたことを くりかえしては いけないのだ。


 フジワラは「漢字の ヨミマチガイと いうのは、漢字の ヨミが イクトオリも ある 以上、さけられない もので ある」とし、「漢字と いう ものの タチの ワルサが ほとんど 認識されて いない ことが 問題だ」と主張している(2-3ページ)。そのとおりだ。


 わたしは「漢字という障害」(ましこ・ひでのり編『ことば/権力/差別』三元社)という論文で「漢字をつかわない自由」の確立を 主張した。これはつまり、漢字が よく わからない ひとも 気にせず 日本語を かいてくださいということだ。それこそを 社会の風潮にしようということだ。


 活字に されたものが すべて電子テキストとして開放され、だれでもアクセスできるようになれば、漢字に よみがなを ふったり、ひらがなにしたりすることが できる(「テキストデータ引替券」の ついた本の出版が すでに はじまっている)。だれでもパソコンを つかえるわけではない。だからその変換は 個々人が しなくても、図書館が かわりにしても よいわけだ。読者の注文どおりの かたちにする「オンデマンド出版」も ゆめではない。


 そして、技術に たよるのであれば、最低限の配慮として、固有名詞の漢字には すべて よみかたを そえるべきだ。「固有名詞の漢字には すべて よみかたを そえる」。それこそを 日本語社会の「あたりまえ」にしよう。


 漢字は、まちがえるのが あたりまえなのだ。それならば、どうするのか。どのように主張するのか。

  • 漢字が よく わからない ひとも 気にせず 日本語を かいてください。
  • 電子テキストを 開放する。
  • 固有名詞の漢字には すべて よみかたを そえる。


 もう一度 かきます。漢字は、まちがえるのが あたりまえなのです。


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