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オーウェル「復讐の味は苦い」(死刑について)。

 オーウェルの評論集が 平凡社ライブラリーに あります。いまは うりきれの状態です。古本で さがすしか ありませんが、ともかく『水晶の精神 オーウェル評論集2』は いい本だと おもいます。


 7ページほどのエッセイの「復讐の味は苦い」を よみなおしてみました。1945年の文章です。


 ドイツ系の、あるいはオーストリア系のユダヤ人がナチスに怒りを向けるのを、非難するのは馬鹿げている。今のこのユダヤ人にしても、いくら腹いせしても飽き足りないほどひどい目にあわされたのかもしれない。彼の家族が皆殺しにされたということも大いにありうる。結局のところ、気ままに捕虜をひとつ蹴とばすというのは、ヒトラー体制が犯した暴虐に比べれば実に些細なことである。にもかかわらず、この情景を含めてドイツでのさまざまな見聞から私が痛感したのは、復讐や懲罰という観念はまったくたわいない白日夢だということだった。そもそも復讐などというものはありえないと言って間違いではない。復讐とは自分が無力な時に、また無力なるがゆえにやってのけたいと望む行為であって、無力感が取り除かれるやいなや、そうした欲求もまた蒸発してしまうのだ。
(264ページ)


 オーウェルは、「怪物の処罰はそれが可能になった時に魅力的には思えなくなるのだ。実際、鍵をかけて封じ込めてしまえば、ほとんど怪物ではなくなってしまうのである」としています(266ページ)。


 さて。死刑制度について。


 死刑制度が 残酷なのは、それが 刑罰の選択肢のひとつとして、いま現に ここに あるということです。刑罰のひとつとして、死刑がある。「もっとも おもい罪」への刑罰として、死刑が あるのです。それなら、「死刑判決が でない」ということは、あるひとたちにとって、「あれは「もっとも おもい罪」ではない」という宣告として ひびくのです。


 かなしみに 点数が つけられるものでしょうか。いのちの おもさに、点数を つけることが できるでしょうか。そんなことは できないはずです。かけがいのないものだからこそ、いとおしいのです。そして、かなしいのです。


 死刑という刑罰は、だれにとっても、どんな ひとにとっても、かなしいものだと、わたしは かんがえています。ほんのすこしでも、ひととして せっしてみるならば、せっしてきたならば、それが どのような ひとであっても、なにを した ひとであっても、ころしてしまうのは おそろしく、かなしいことです。ころされてしまうのは、かなしいことです。


 それでもなお、死刑を のぞむということは、すでに うしなわれた いのちの おもさを かろんじることが、どうしても できないからでは ないでしょうか。いや、他人に、世間に、社会に「かろんじられること」が どうしても ゆるせないからでは ないでしょうか。死刑が 刑罰の選択肢としてあるかぎり、いくら かなしくとも、死刑を のぞんでしまう ひとは いなくならないでしょう。それは、いのちの おもさに 点数を つけたくは ないからでしょう。刑罰されるのであれば、もっとも きびしい刑罰が くだされることが、いのちの おもさに 点数を つけないことになるのだと、信じられているのでは ないでしょうか。


 ゆるせないのは、刑罰の選択肢の ひとつとして 死刑を 位置づける法のありかたです。「復讐の味は苦い」。そしてなにより 刑罰は、「復讐を 代行する」ということでは なかったはずです。「刑罰は、復讐とは ちがう」というのが 国家の たてまえだったはずです。


 それならば、死刑に なるか ならないか、死刑に するか しないかを めぐる世論などというものは、まったく意味のないものです。そういったことは、すべて 刑罰を さだめる ひとたち、ひとの罪を さばくひとたちに ゆだねられているということが、いまの社会の実情です。けれども、死刑を のぞむ 世論ばかりが、くみとられているように 感じられるのです。それが、なにより おそろしい。


 死刑を めぐる世論に 意味が あるとすれば、「だれを 死刑に するか、しないか」ではなくて、「死刑制度を みとめるかどうか」という論点です。もっとも根本的なところが 争点に なっているのです。


 そもそも わたしは いやですね。「ひとが ひとを さばく」というシステムを うけいれるのなんて。死刑という選択肢を いまだに のこしつづけている この社会を うけいれることは、わたしには できない。死刑について 議論するということは、結局のところ、わたしたちが どのような社会で くらしていきたいのかということだと おもいます。


 「業務として、合法的に ひとを ころさせる」社会を のぞむのか。そうではないのか。「かなしみに、もうひとつ かなしみを かさねる」ことを のぞむのか。そうではないのか。
 わたしは、死刑制度に 反対します。死刑廃止を のぞみます。


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