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あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

教誨師(きょうかいし)の みなさんへ。

 この本を よんでいて、どうしても かきたくなりました。


2006年12月の時点で、全国の教誨師の数は総計1551人。そのほぼ7割は仏教系の僧侶で、残りの3割強を神道系とキリスト教系が占めている。
(185ページ)


 教誨師は なにをするのか。


徳性の育成を目的とする教育活動。つまり受刑者の改悛や反省の手助けをして、社会復帰するときのために矯正することだ。でも教誨師の使命はそれだけではない。広辞苑には「刑務所で」と記述されているが、例外的に拘置所にも出入りする。死刑囚への教誨だ。
(185ページ)


 死刑囚は、「心安らかに吊るされるために教誨を受けるのだ」(185-186ページ)。


 森達也は、教誨師のTさんにインタビューしています。


死刑囚は半分以上が教誨を受けています。一回につき30分から40分。基本的に僕はしゃべらない。聞くばかりです。できるだけ聞く。そうすると、みんなしゃべります。とにかく聞く。とても疲れます。
(225ページ)


 死刑囚の はなしあいて。『デッドマン・ウォーキング』という映画を おもいだしました。『ラスト・ダンス』という映画も。


「……もうすぐ処刑される人を目の前にして、Tさんはどんな心境になりましたか」
…中略…
「……壊れました」
「はい?」
「だから、……そのとき僕は、たぶんどこか壊れたと思う。それは今も感じる。……それまでの僕は仕事柄、どちらかといえばわりと冷静で、客観的に感情をコントロールできるほうだったと思います。でもあの執行の日以来、何かが壊れました。そうとしか思えない。たとえば車を運転しながら、何の脈略もなく涙が溢れてくることがあるんです」
226-227ページ)


 死刑制度があり、死刑執行があり、死刑囚と むきあう教誨師がいる。その教誨師が、「何かが壊れました」と いっている。そんなことを、まったく しらなかった自分を はずかしく感じます。けれども、しってしまったからには、わたしなりに、できること、したいこと、やるべきと おもわれることを したいと おもいます。


「…僕はね、できることなら教誨師を辞めたい。本当にそう思う」
「でも辞めない理由は?」
「最後に送ってほしいという死刑囚の方が今はいます。だからのその人が終わったらって思ってる。どこかで線を引きたい。でも彼らはきっと、一緒にいてほしいと思っている。毎日顔を合わせてしゃべる奴がいたほうがいいと僕も思う。僕がもし彼らの立場だったら、やっぱり誰かにいてほしいと思うから」
(232ページ)


 教誨師の はなしを、自分は しゃべらずに、「とにかく聞く」。だれか、しているのでしょうか。それとも、教誨師は、ひとりで とじこめているのでしょうか。これまで うけとめてきたことを。


 死刑囚のはなしを「とにかく聞く」教誨師。そして、死刑執行の直前に死刑囚を「抱きしめる」教誨師。そして、死刑が執行され、「何かが壊れ」たという教誨師。そんな教誨師の みなさんが ひとりで ことばを ときはなつこともできずに孤立しているとしたら。そんな孤立を うみだしているのは、この社会であるはずです。死刑制度が、そして、死刑執行が 教誨師の みなさんに、つらい思いをさせている。その現実から にげてはいけない。どうしても、むきあわないといけない。


 もし、それが自分の しごとだとしたら。わたしはよく、そんなことを おもいます。もし わたしが教誨師だとしたら。もしあなたが教誨師だとしたら。



「…とにかく初めてのことだから、何をどうすればいいのかわからない。お祈りして、手を握って、ひたすらお祈りして。……そして抱きしめました。だって死刑囚にとって個人教誨は、他人と触れ合う最後の機会です。友人や家族との面会はアクリル板越し。逮捕されてからずっと、彼らは人間の体温を、他人の温もりを感じることができない。だから、……最後に他人の体温を感じてほしいと思って、僕は彼を抱きしめました」
(227-228ページ)


 教誨師のあなたを、「抱きしめ」る ひとは いるでしょうか。「教誨師である あなた」を。いつか おあいすることがあれば、ハグしましょうね。たくさん おはなししましょうね。



 くるしみを 現場にだけ おしつけて、「壊れない」でいられるということが、はたして しあわせなことだろうか。わたしは、そうは おもわない。だから、死刑というシステムを 廃止したい。


 システムであるかぎり、そこには、ひとが動員される。社会から みえない場所で。ころす。ころされる。絞首刑(こうしゅけい)。



 教誨師の みなさんへ。みなさんが、処刑に たちあうことが なくなるように、なくすようにしたいと おもいます。「壊れている」のは、この社会なのです。ひとを「壊している」のは、この社会なのです。社会を なおしていきましょう。


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