hituziのブログじゃがー

あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

自閉症(「空気がよめない」という説明について)。

 自閉者は、「空気がよめない」、「よみにくい」と説明されることがある。ある意味で、そのとおりだと おもう。だが、「空気がよめない」と きいただけで、それが どういうことなのか、つたわるはずはない。
 自閉者は「空気がよめない」のだと説明する ひとは、具体的な だれかと、たくさんの だれかと、日常的に接している。その体験に もとづいて、ある状況を ふりかえりながら、「空気がよめない」と いっているのだ。
 自閉者について、ずばりと説明できる ことばが あるだろうか。おそらく、ずばりと説明づけることなど、だれにも できない。そんな便利な表現も 存在しない。自閉症を 「ことばする」のは できないことだし、説明するのは むずかしいことだ。どんなことだって、そうだろう。
 それでも、くるしまぎれに 説明するときが ある。うまく いえてないのは自分でも わかっていつつも、それでも ことばに せざるを えないときがある。


 そんな くるしまぎれの表現のひとつが、「空気がよめない」という説明なのだ。


 もし、「空気がよめない」という説明を 「ことばじり」で 理解しようとするなら、はなしは あさっての方向に いってしまう。実体から、かけはなれてしまう。ことばを もてあそぶだけになってしまう。
 ことばで理解しようとしてはいけない。説明する側には、さしせまった事情が あるのだ。説明を きく側は、その点を ふまえておく 必要がある。説明する ことばの背景にあるものに、注意を かたむける 必要がある。くるしまぎれの状況に おもいを はせないならば、なにも きいていないのと おなじだ。うけとめていないのと、おなじことだ。
 あるとき、「空気がよめない」という説明から どんどん かけはなれていくのを みた。残念に感じたし、ことばで説明する むずかしさを 痛感した。わたしは はじめ、説明のしかたに 問題があるのだと おもっていた。だが、それだけではないはずだ。うけとめる側の 態度にも、問題があるのではないか。


 それが くるしまぎれの 説明であることを、まず うけとめる 必要が あるのではないだろうか。ことばに しようがないことを、なんとか模索して、表現しているのだ。なぜって、だまっては いられないからです。


関連リンク