hituziのブログじゃがー

あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

社会的排除について。

 まえから かこうと おもって かいていなかったのが、「社会的排除」とは どういうことかということです。何度も このブログで社会的排除を 批判してきたのですが、ちゃんと説明していなかった。

 いい本です。おすすめします。


 岩田さんは「まず、社会的排除という言葉は、それが行われることが普通であるとか望ましいと考えられるような社会の諸活動への参加の「欠如」を、ストレートに表現したもの」としています(22ページ)。具体的には、つぎのように「空間的排除」と制度からの排除/制度による排除を あげています(28-32ページ)。


 その一つは空間的な側面である。すなわち、社会的排除は、しばしば特定の集団を特定の場所から排除し、その結果排除される人々が特定の場所に集められる。また、その結果として、特定の場所それ自体が、排除された空間として意味づけられていく。
(28-29ページ)



 もう一つは、福祉国家の諸制度との関係である。…中略…制度との関係では、二つの異なった側面がある。
 第一は、ある特定の人々が制度から排除されてしまう、という側面である。…中略…
 第二は、制度それ自体が排除を生み出す側面である。
(30-31ページ)


 とくに つぎの指摘が重要だと おもいます。


たとえば山谷[さんや]などの「寄せ場」は福祉制度から稼働年齢層の貧困を誘導し、隔離する政策の中で形成され、あるいはハンセン病患者の療養所、障害者の施設なども、彼らを主要社会から排除しつつ隔離する対処といえる。ここでの排除は、制度それ自体の目的である。
(32ページ)


 わたしは知的障害者の施設で しごとを しています。通所、グループホーム、入所の施設ですが、わたしの部署は入所施設です。


 ケアするのは たのしいです。けれども、入所施設で しごとをするのは たのしくないです。それは「主要な社会から排除しつつ隔離する」という空間だからです。


 わたしは このような社会的排除が いやでいやで しかたがない。そういうこともあって、今年度いっぱいで やめることにしました。それを しって、ものすごく いやがってくれた職場の同僚が、わすれられないはなしを きかせてくれました。まえの職場で いわれたことだそうです。まとめると、つぎのようなことです。


「おまえは 仕事が いやになって やめることもできる。それで つらい現実を みずにすむかもしれん。けど、障害を やめることはできないんぞ」

 施設の職員と利用者の立場は、このように あざやかに ちがうのです。来年度からはボランティアとして かかわっていきたいと おもっています。

 うえの記事を かいて、たくさんのひとに共感していただきました。うれしかったし、なみだが でました。けれども、いわせてください。わたしが のぞむのは、わたしの文章に感動していただくことではありません。「いいひと」だと おもっていただくことでもありません。「ともに いきよう」といって、脱施設へと ともに あゆんでいくこと。それだけです。


 よろしく おねがいします。


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