hituziのブログじゃがー

あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

公平とは なにか。

 「こういう ひとたちが いて、一方で こういう ひとたちも いる。どちらも尊重しよう!」というとき、その関係が どうなっているのかを ちゃんと確認するようにしたい。片方が圧倒的に多数派で、権力的であるなら、「どちらも尊重しよう!」なんてのは そもそも公平ではない。


 非対称な関係にあるという現実から出発して、いかにして平等な関係を きずいていくのか。どのように むきあい、対話していくのか。そういうプロセスを すっとばして、ただ「どちらも大事」とだけ主張するのは、なにも いっていないのと おなじだ。


 「こうすることも、ああすることも排除につながる。」 それは ただしい。

 しかし、それならば、「わたしは どちらを えらぶのか」ということじゃないか。どちらの側に たつのかという主体的な選択じゃないか。えらべないなんてことはない。わたしたちは、現に えらんでいる。


 はっきりと意見を 表明することを おそれるな。「おまえも排除している」と批判されることを 想定してもなお、いうべきことがある。
 そうでなければ、理念を もつこと、思想を かたるということに、なんの意味が あるのか。


 信念を もって いいんだ。もちろん、同時に ゆれる わたしを 肯定して いいのだ。ながれに 身を まかせず、同時に、自分を 固定しない。いきているってことは、そういうことだよ。


 わたしは、日の丸が きらいだ。日の丸なんか みたくない。この発言が だれかを 傷つけるとしても、とりけすことはしない。


 わたしは、日の丸が きらいだ。


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