hituziのブログじゃがー

あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

介護職の あなたへ。

 介護職でも、看護師でも なんでも いいけれども。ケア労働者へ。


 ありたい わたし。期待されている わたし。そういう理想像が かたほうに ある。


 そして、そうでは いられない わたしが いる。そのとき、ひきさかれるように、つらくなってしまう。そういうことが ある。


 武井麻子(たけい・あさこ)『ひと相手の仕事はなぜ疲れるのか―感情労働の時代』に引用されている短歌。朝日新聞に のったもの。

天使にもペテン師にもなりきれぬまま
二年目ナースの今日が始まる

 これは ないてしまう。ゆらぐ きもち。自信が もてないようす。肯定できずに、くるしい きもち。孤独。そういった感情を 感じさせる。


 だけどなあ。これは ほんとうに、あなたは ひとりではないんだ。あなたの ことばに、うなづく ひとが たくさん いる。そして、それが わかったとき、わかちあえたとき、あなたは すこし楽になるだろう。そして、「今日も始まる」と いえるようになるんじゃないかな。「よしっ」てね。


 他人には わからないとか、立場が ちがうのに理解したようなことを いうなと いうことがある。ただしい。いっぽうで、ただしくない。


 ひとは、ちがっている。けれども、同時に、そんなに ちがわない。共感できない。共感できる。わかちあえない。わかちあえる。どちらでも あるんだよ。


 経験のある ひとが、ある くるしみに たちあっている ひとに、ふと 声を かける。いわれた内容が あまりに そのとおりで、そして、孤独だったから、一気に なきそうになってしまうことが ある。ないてしまうことだって ある。そういう ひとことを、いえる だれかが 必要だ。


 あるいは、はきだせる空間が 必要。ためこんで、はきだせない。なおかつ、自分が ゆるせない。さらには周囲に失望する。それって 無理を しているということだ。しんどい。それは しんどい。


 あとね。その場を はなれることが できるというのも たいせつ。ちがう場所。かえるところ。そういうのが いるんだよ。にげることが できる。かえるところが ある。どうしても だめなら、やめてしまって いいのだ。


 でも…という ひとは、三好春樹(みよし・はるき)という ひとに責任を おしつけてしまいましょう。三好の『介護職よ、給料分の仕事をしよう』という本に、こんなことが かいてある。

介護職よ、自分を殺してまで続けなきゃならない仕事なんかないんだよ。自分が生かされているという実感を得られない職場にあなたがいるなら、まず反抗し、内心で反抗し、それでもダメなら逃げよう。
 ちょうど世の中は景気がいいらしく、人手不足なので、すくなくとも都市部では介護の仕事は見つかるはずだ。偶然に就職した介護現場がひどいところで、それが全世界だと思い込む必要はない。自分がダメになる前に転職しよう。

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 ストライキでも できれば いいけれども、それが できないなら、やめてしまうのが いちばんの抵抗であり、問題提起だ。人手不足になって どうにも ならなくなったとき、その介護現場にも 変革がおきる。かえなくては やっていけなくなるから。それを 期待しつつ、やめてしまおう。それも ありなんだ。
 景気は よくないけどさ。


 いきづまりを 感じて、どうにも うごけなくなったとき、介護は介護でも、訪問介護という選択肢を えらぶのも ありだと おもう。「脱施設」「退院」は、職員が やっても いいんだ。福祉施設や病院を やめて、訪問する しごとに かえる。それも ありだ。地域福祉って やつね。


 精神障害の分野でも、ACT(アクト)というのが ある。高木俊介(たかぎ・しゅんすけ)『ACT‐Kの挑戦―ACTがひらく精神医療・福祉の未来』が わかりやすい。


 わたしが この5月からしているのは、介助のしごと。制度上の なまえは「重度訪問介護」というもの。前田拓也(まえだ・たくや)『介助現場の社会学―身体障害者の自立生活と介助者のリアリティ』という本に くわしい。


 知的障害の分野なら、『知的障害者が入所施設ではなく地域で生きていくための本―当事者と支援者が共に考えるために』を おすすめしたい。


 ほかにも ありそうだけど、わたしは しらない。自分が やりたいこと。そして、おもしろそうなこと。それを さがして、さきに やっている ひとに まぜてもらおう。よんでないけど、『だから訪問看護はやめられない―訪問看護の魅力、ぜんぶ教えちゃいます!』って本は おもしろそうだなあ。
 訪問看護ホームヘルパーソーシャルワーカー、民生委員…。いろいろ あるから、えらんだら いい。



 わたしたちは、どこに むかっているのだろう。どこに、いきたいのだろう。どんなことが したいか。どんな社会で くらしたいのか。



 知的障害者の施設で3年ほど しごとをしました。きょうは、その施設の おまつりに あそびに いきました。「あべさん。あしたは?」「とまり?」って きかれた。


 来年の11月3日は、京都市 東九条(ひがしくじょう)の東九条マダンに いくと おもう。



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