hituziのブログじゃがー

あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

小説『いらっしゃいませ』。

 あまり小説は よまない。だから、たまに小説を よんだら、ブログに かきたくなる。


 夏石鈴子(なついし・すずこ)『いらっしゃいませ』角川文庫。


 これは武井麻子(たけい・あさこ)『ひと相手の仕事はなぜ疲れるのか―感情労働の時代』で紹介されていた小説。


 『いらっしゃいませ』は、会社で はたらく女性への応援歌のようなところがある。だから、なんとなくハッピーエンドで おわる。ずっと よんでいたい感じで、物語が おわってしまうのが さみしく感じて、だけど、ハッピーエンドで おわった。じーんときた。


 けれども、わたしはマイナス思考なので、「感情労働に つかれて、仕事を やめた」というストーリーのほうが すきだ。そういう、「人生の えらびなおし」の物語としては、小説ではないけれど、藤木美奈子(ふじき・みなこ)『女子刑務所―女性看守が見た「泣き笑い」全生活』講談社文庫が すきだ(いやな副題だ…)。とくに「保安課長のゆううつ」(231ページ以降)。


 『女子刑務所』を よんだとき、ちょうど しごと(知的障害者の施設の支援員)を やめることにした時期だったから、すごく ひびくものが あった。わたしが やめるというのを きいて、「いいなあ」と いった ひとが いた。半年以上 あっていないけど、元気にしているだろうか。


 『いらっしゃいませ』は内省的で分析的な小説だ。ものごとの本質を ついている。一歩ひいて 自分や周囲を みている。感情労働論や感情社会学を ふまえているのだろうと おもう。たんに内省的なだけでは、これだけの文章には できない。


 だけど、そんなことは どうでも いいのだ。著者は、「『いらっしゃいませ』のこと」というエッセイに かいているように、同期の ともだちとの思い出を 小説にしたという。たいせつなものを ふりかえりながら、心を こめて かいた。だから内容が いいのだと おもう。


 わたしは3年と1ヶ月のあいだ、施設で しごとをした。しんどくなって やめた。やめるまでの あいだに、わたしは一度 こわれたのだと おもう。そして、いまでも ひきずっているのだと おもう。いつまでも おわらないのだと おもう。あれやこれやは わすれるくせに。


 人類学者のように、社会学者のように、自分のおかれた状況を 分析する。そうすれば、みえてくるものが ある。いろいろな感情も整理できるだろう。そういう作品が、たとえば『いらっしゃいませ』という小説であり、『私がクマにキレた理由(わけ)』という映画なのだろう。


 一歩ひいてみれば、なんとなく納得できることがある。おちつくこともある。しかし、しんどいのは「心の もちよう」ではない。だから、労働条件を 改善しないといけないのだ。しごとを やめることも必要なのだ。



 なぜ しんどいのか。それは、あなたが一生懸命だからだ。だれかのことを たいせつに感じて、つくしたいと ねがう。よろこんでもらいたいと おもう。だけど、そのひとは死んでしまう。死んでしまったあとに、もっと できることは なかったのだろうかと反省する。そんなふうに、あとにも さきにも、一生懸命だからだ。


 必要なのは「心のケア」ではなく、社会環境を かえることだ。


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