hituziのブログじゃがー

あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

うばわれたら、それが魅力的になる。

 ありふれているものは、それほど ありがたいとは感じないものです。どこにでもある。なんでもないもの。それは、意識することなく やりすごすことができるものです。


 けれども、一度 うしなってしまえば、その たいせつさが身にしみるということがあります。


 また、ほかのひとは当然のように たのしんでいて、自分だけが とりのこされていれば、それが なんであれ くやしく感じることになります。「わたしも!」と、いっしょに やりたくなります。うばわれたら、それが魅力的になるということです。

 うえの記事から一部を 引用します。できれば、うえの記事の全文を よんでください。


それらの意義深い出会いのなかでも、最も強烈に私の記憶に残ったのは、元山[ウォンサン]の幼稚園でのワンシーンだ。同行した写真家の伊藤孝司さんが、子どもたちにレンズを向けながらこう質問した。

「大きくなったら何になりたいの?」


すると、一人の男の子が、ちょっと緊張した顔でこう答えた。


チョソンサラム(朝鮮人)になりたいです」


「立派な」とか「偉大な」とかいう形容詞抜きの、ただの「朝鮮人」。

その一言に、私はこの民族が歩んできた100年間の苦難を思い浮かべ、めまいを感じた。


日本人は、自分が日本人であることに何の疑問も持たない。生まれたときから、そして先祖代々、日本人であることが当たり前だと思っている。だから、日本人の子どもから「日本人になりたいです」という答えが返ってくることはありえない。


だが、朝鮮人は違う。国を、国籍を、言葉を奪われた朝鮮人は、朝鮮人であるために、命を懸ける必要があったのだ。


義兵闘争、3・1独立運動抗日パルチザン朝鮮戦争。何千、何万という朝鮮人が、朝鮮人であろうとしたがゆえに、倒れていった。日本においても、朝鮮人を育てる学校を守ろうとして、多くの人が投獄され、血を流した。


元山の男の子の「朝鮮人になりたい」という一言には、1910年に強制的に「日本人」にさせられて以来、朝鮮人朝鮮人になるために歩んできた、歴史が込められているように思う。


いまでも、朝鮮人が朝鮮の主人であることは、当たり前に保障されているものではない。国際関係の危ういバランスと、日々の闘いのなかで、ようやく保たれているのだ。


 「チョソンサラム(朝鮮人)になりたいです」というのを、わたしは「すばらしい」と いうこともできないし、「すごい」などと いうこともできない。だまって うけとめるしかない。感動することもできなけれけば、共感することもできない。ただ、身が ひきしまる。


 まえにも かいたように、わたしの理想は「だれにも名前がない社会」、「カテゴリーのない社会」です。もちろん、空想なのでしょうが、それが理想なのではないかと感じられることがあります。


 境界線が恣意的(しいてき)であるということと、いま現に差別があるということは別のことです。そのカテゴリーが恣意的であろうとも、そのカテゴリーは、いま現に差別に利用されているわけです。差別される側として、そのカテゴリーに属している ひとが「わたしたち」を 意識するようになる。


 アイヌというアイデンティティが なぜ意識されるのか。それは排除が あるからです。もし、排除が なければ、だれにも名前はありません。みんなに名前がない。

 みんなに名前がない。あるいは、みんなに名前がある。左ききにだけ「ぎっちょ」という名前があるような「非対称的」ではない関係。そんな、対等な関係を めざしたい。
 そして、「共同性というもの、アイデンティティというものを 頭ごなしに否定するのでもなく、幻想だといって満足するのでもなく、また、否定的側面を 批判すること「だけ」に集中するのではなく、「うまく つきあっていく」」ことが できたらと おもう(なんのための構築主義か(少数派のアイデンティティについて)。)。


 あたりまえのように日本に うまれて、日本語で生活していて、そして、「外国」から ほしいものを いくらでも輸入し、さらには「外国人研修生制度」によって「研修生」を 奴隷のように労働させておいて、なにくわぬ顔で平然と くらし、「外国人」は日本国籍者とは ことなる名簿(外国人登録)によって管理し、難民は ろくに うけいれない。「外国人お断り」などと はりがみをする店があれば、外国語でだけ「○○禁止」と注意がきを したりする。


 朝鮮の文化は、ようやく うけいれられるようになった「韓国」というフィルターを とおさなければ拒否されてしまう。いまでは朝鮮語朝鮮語と よぶことすら タブーのように みなされ、「韓国語」と表現するのが一般的になる。「中国の朝鮮語」などという発想は、まったくない。中国で朝鮮語が はなされているなど、予想も つかない。


 そういう日本社会に いきていて、「日本人の責任」といって自分の責任を はたそうとするひとがいれば、共感することはあっても、非難することはない。もちろん、「「日本人」とは だれのことか」という点は、いつも念頭においておく必要がある。それは慎重になるべきことだからだ。けれども、それは自分の責任を ひきうけながら、同時に慎重になるべきだということだ。慎重になるだけで日本社会を よりよくすることはできないだろう。


 「チョソンサラム(朝鮮人)になりたいです」というのを きいて、感じることは不平等ということだ。

 うえの記事で引用した文章を、もういちど紹介しておきます。

  • 野村浩也(のむら・こうや)「はじめに」野村編『植民者へ―ポストコロニアリズムという挑発』松籟社(しょうらいしゃ)、10ページ。


…植民者が権力を失うことは、植民者が植民地主義と訣別する可能性を開くことでもある。しかもそれは、被植民者が植民者に取って代わることをけっして意味しない。なぜなら、植民地主義との訣別とは、植民者と被植民者の双方のカテゴリーを消滅させることにほかならないからだ。
 すなわち、「植民地主義に訣別しよう」という呼びかけは、「平等を実現しよう」という呼びかけでもあるのだ。…中略…つまり、平等の実現とは、植民者に訣別することと、被植民者に訣別することとを、同時に実現することなのだ。そして、植民者も被植民者もともに姿を消したとき、植民地主義は終わりを告げることとなるであろう。


 もういちど かきます。ありふれているものは、それほど ありがたいとは感じないものです。


 ただ、その一方で自分にとっては「ありふれたもの」を、必死で ほしがっている ひとが いるとしたら。そのような場面に直面したら。


 そのとき、ありふれた わたしの日常が政治であることに気づくのです。日常の政治性と、不平等な現実に であうのです。


 そのとき、わたしは どうするのか。なにを かんがえ、どのように行動するのか。



 「ありふれた日常」から出発する。自分の問題として とりくむ。それだけです。