hituziのブログじゃがー

あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

「多文化共生」を といなおす。

 この記事は、安田敏朗(やすだ・としあき)さんが ていねいに議論されてきた問題を、わたしなりの ことばで論じるものです(以下、敬称略)。ひととおり かきおえたところで、安田の論考を よみなおしてみたいと おもいます。そして、最後に 安田の文章を 引用します。それでは、よろしく おねがいします。


 韓国からの「ニューカマー」は韓流ブームとリンクしている。連想されるのはヨン様チェ・ジウさん。あかるく さわやかなイメージばかりが連想される。ニューカマーの韓国人は、「韓国語を おしえてください」と いわれることも おおいだろう。もちろん、韓流ブームへのアンチテーゼとしての「反韓流」を おもいおこす ひとも いるのだろう。
 一方、オールドカマーは どうか。いや、ふだんどおりの ことばで表現しよう。「ざいにち(在日)」は どうなのか。


 かんがえたことがない。周囲に いない。あるいは、くらいイメージ。差別してきたこと。ニューカマーとは ちがったことが連想されるのではないか。差別主義者であれば、ニューカマーへの感情とおなじく、反感ばかりが さきばしるのかもしれない。


 それでも、どちらかといえば日本社会は かわりつつあります。最近では、世界のあちこちから 日本に やってきているニューカマーに注目が よせられています。「多文化共生」という ことばを よく きくようになりました。国際化は、もう きかないですね。いまは、多文化共生が スローガンのようです。
 それは、とりあえず うれしいことだと おもいます。「ともに いきる」。それは たいせつなことですし、すばらしい理念だと おもっています。


 ですが、オールドカマーのことを わすれず、むきあい、あゆみよること。それが できなければ、おなじ あやまちを くりかえす。くりかえしてしまうと おもいます。
 ここで とわれているのは、歴史をくりかえさずに、社会を いかに ひらいていくかということでしょう。


 たとえば、多言語社会が「やってきた」というような認識で、信頼されるはずがないのです。小熊英二おぐま・えいじ)『〈日本人〉の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』新曜社。あるいは 安田敏朗『帝国日本の言語編成』世織書房。あるいは、石原俊(いしはら・しゅん)『近代日本と小笠原(おがさわら)諸島―移動民の島々と帝国』平凡社。これらを みれば、日本社会が 多民族/多言語国家であるのは、きのうきょうに はじまった はなしではないことが わかります。いわゆる「単一民族の神話」は敗戦後に つくられたものなのです。それは、小熊英二単一民族神話の起源』新曜社を みても わかることです。


 日本社会は ずっと「多言語性」を 抑圧してきたのです。「標準日本語」を おしつけてきたわけです。「東北のことば」も 矯正の対象とされました。河西英通(かわにし・ひでみち)『東北―つくられた異境』中公新書、141ページ以降を ごらんください。

 その歴史を すっかり わすれて、『多言語社会がやって来た』であるとか、「多文化共生社会」にむけてというのは、おかしい議論ではないでしょうか。徐勝(そ・すん)さんは『だれにも故郷(コヒャン)はあるものだ』社会評論社で、つぎのように のべています。


 日本はかつて多民族国家だった。戦前の「多民族帝国日本」は、その侵略の跡をたどって、北海道のアイヌ、沖縄のウチナンチュー、台湾人、朝鮮人などを「天皇の赤子」としてその版図に収め、それらの民族にはそれぞれ民族衣装を着せて、1903年大阪の勧業博覧会の「学術人類館」に見世物として展示された。
 問題は単一民族国家か、多民族国家かではない。その外枠である国家の性格と内実にある。
(30ページ)


 宋悟(そん・お)さんは、「誰による、誰のための、何のための「多文化共生」なのかーオールドカマー・コリアンからの視点」『NPOジャーナル』2008年、23号で、つぎのように のべています。


 戦後日本は、オールドカマー・コリアンの問題に真摯に向き合い、解決してこなかった。そのため、現在の外国人・民族的マイノリティの教育や「多文化共生」政策に、その教訓が生かされていない。それどころか、最近ではオールドカマーの存在と諸問題がほとんど不問にされているといってよい。
(27ページ)


 安田敏朗「多言語化する日本社会のとらえ方―『事典 日本の多言語社会』書評をかねて」『言語社会』1号という論文で、つぎのように のべている。


 一般的に、現象としての多言語性のない社会はない。したがって、多言語社会のありかたが問題として浮上してくるのは、多言語性そのものが問題だからではなく、それの社会的認識・解釈のありようが問題となってくるからである。
(129ページ)


 安田は『脱「日本語」への視座』という本で、「社会的多言語性は、決して「外部」からもたらされるものではなく、本質的に内部に存在する問題としてとらえることも必要であろう」としている(86ページ)。安田は、『多言語社会がやって来た』という本から、つぎのような記述を 引用している。一部みてみよう。


日本を取り巻く言語環境が急速に変化しつつあります。それは一言で言えば、様々な民族が日本に移住してきて、急速に多言語社会になりつつあるということです。

 わたしが「均質な文字社会という神話」という論文で 論じたとおり、身体的多様性という観点も ふくめるなら、言語的にも文化的にも、「均質な社会」など ありえないのだ。それは、いかに社会的に統制しようとも、おなじことである。


 『「共生」の内実―批判的社会言語学からの問いかけ』三元社が するどく指摘したように、うつくしい ことばで理念が かたられるとき、なにかが わすれられていないか、なにかが みおとされていないかを、きちんと ほりおこしていく必要がある。


 いまの日本社会は、亀井伸孝(かめい・のぶたか)『アフリカのろう者と手話の歴史』明石書店という労作が発表されながらも、たとえば町田健(まちだ・けん)『世界の言語地図』新潮新書という本では、手話の存在がまったく無視されているという状態にある。


 存在を 認知しないこと、わすれることによって、どのような問題が ひきおこされているのか。その社会的排除と人権の抑圧を、ていねいに しらべあげていく必要があるのだ。


関連リンク:「社会言語学 文献目録」