ちがうんじゃて。なんに してもなあ。いっしょの もんやこ、ありゃ しません。ぜんぶ、いっしょの よーに みえても、ぜんぜん ちゃうもんなんじゃ。
せーでなあ。ぜんぜん ちゃうもんじゃあ ゆーても、そねーに ちゃうもんでも ねんじゃ。にとるよーで ちゃうわけじゃ。ちゃうよーでも にとるんじゃ。そんなもんじゃて。
あんなあ。日本人が たとえば 朝鮮語を おべんきょすると するがー。そしたらなあ、韓国の朝鮮語で 「マクドナルド」を なんて ゆんかが ものすごー おかしゅー きこえたりも するわけじゃ。みんななあ、じぶん 中心に かんがえるがー。せーじゃけ、じぶんは おかしゅーのーて、あいての ほーばー おかしゅー みえてしまうんじゃ。
じぶんが 無地の さらちで、むこーは 色もんじゃ、ゆーてな。「白人」じゃ ゆーじゃろ。英語で ホワイトじゃ。せーで、ホワイト いがいを、なんて ゆんなら ゆーたら「カラード」じゃてな。
ちょっと まちんせー!!! 「カラード」たー、なんなー ゆんじゃ。「色もん」ゆーことじゃろが。ちばけられなよ。よーゆんじゃ。ほんまに なあ。そんなら あんたは「無色透明」かー ゆー はなし じゃが。
ほんまに なあ。みんな ちごーて、みんな おかしんじゃ。わやくそじゃ。わけ わかりゃすまーがな。
ほんまに なあ。じぶんばー ふつーじゃ おもよーたら とんだ かんちがいじゃけの。
ちゃうばーじゃけど、せーでも どっかで つながっとるはずなんじゃ。あんたも わしも、この せかいを うつくしゅー かざっとんじゃがー。いや、うつくしゅーは ねーかも しらん。せーでも、けっかオーライじゃ。ぜんぶ まるのみしたら、せかいが くるっと ひっくりかえらー。
みんな ちゃうばーで、わけわからんでも、せーでも えーが。ぜんぶが ぜんぶ、ひとに あわすばー せんでも よかろー。こまけーことは きに せんでも、けっかオーライ、ハーモニーじゃ。
たとえば「マイダンラオ」ゆーて きーて、ふきだす ひとは おらんわけじゃろー。おかしゅーも なんとも ない。そもそも、なんのことやら わからんのじゃけー。
くせもんは なあ。「ちょっと ちがう」ってことじゃて。ちょっと ちがうのは、わらってしまうもんかもしれん。そりゃあ どねーも できんことかもしれん。そんなら、ほがらかに わらやーえんじゃ。うけいれるつもりで、ほがらかに、やさしゅー わろーたら えーことじゃ。そじゃろ? なにが おえんゆーて あざけるよーな 態度じゃがー。ばかに してしもーたら おえんのんじゃ。
ほがらかに なあ。やさしゅー わらおーで。わらいましょーで。
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方言がさげすまれるのは、それがある程度はわかるからである。方言で話すとよくわからないから、標準語で話さねばならないというのは、だから半分はウソである。…中略…方言がおとしめられるのは、わからないからではなく、わかればこそなのである。
- 安田敏朗(やすだ・としあき)『〈国語〉と〈方言〉のあいだ 言語構築の政治学』人文書院
- ましこ・ひでのり『ことばの政治社会学』三元社