hituziのブログじゃがー

あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

「配慮の平等」という視点

先日おみせした「識字のユニバーサルデザインにむけて」という文章ですが、なかでも注目していただきたいのが、石川准(いしかわ・じゅん)さんの「配慮の平等」という視点です。いしかわさんは、盲人のプログラマ社会学者でもあります。いしかわさんは何度も何度も強調して、表現をかえて「配慮の平等」という理念を提示しています。その姿勢はとても参考になるものです。いしかわさんは、つぎのように議論しています。


 多くの人は「健常者は配慮を必要としない人、障害者は特別な配慮を必要とする人」と考えている。しかし、「健常者は配慮されている人、障害者は配慮されていない人」というようには言えないだろうか。
 たとえば、駅の階段とエレベータを比較してみる。階段は当然あるべきものであるのに対して、一般にはエレベータは車椅子の人や足の悪い人のための特別な配慮と思われている。だが階段がなければ誰も上の階には上がれない。とすれば、エレベータを配慮と呼ぶなら階段も配慮と呼ばなければならないし、階段を当然あるべきものとするならばエレベータも当然あるべきものとしなければフェアではない。実際、高層ビルではエレベータはだれにとっても必須であり、あるのが当たり前のものである。それを特別な配慮と思う人はだれひとりいない。と同時に、停電かなにかでエレベータの止まった高層ビルの上層階に取り残された人はだれしも一瞬にして移動障害者となる。…中略…
 要するに、障害は環境依存的なものだということである。人の多様性への配慮が理想的に行き届いたところには障害者はおらず、だれにも容赦しない過酷な環境には健常者はいない。…後略…(いしかわ2008:93-94)。
石川 准 2008 「本を読む権利はみんなにある」上野 千鶴子(うえの・ちづこ)ほか編『ケアという思想1』岩波書店、91-106から引用。


いかがでしょうか。わたしは、とても明確で わかりやすい議論であるように感じます。


さて、きょうは、いしかわさんと よくにた議論をしている ピョン・ヂョンスさんのエッセイを紹介しましょう。

ピョンさんは、編集者で、「サヨク自由主義者」の文化批評家でもあります。単著が4冊ほどありますが、日本語には翻訳されていません。『満場一致は無効だ』が代表作だと おもいます(2003年、図書出版モーティブ)。

今回は、『満場一致は無効だ』から「障壁をなくせば障害はきえる」というエッセイを紹介します。

このエッセイの表題は、障害者の移動する権利をうったえ活動してきた「移動権連帯」がデモのさいに かかげていたスローガンに もとづいています。ピョンさんは つぎのように指摘しています。


 たしかに、われわれ だれもが障害者である。この世に完璧なひとは いないからだ。だれでも いくらかは「不便な」ところを かかえていながらも、それでも どうにか生活しているだけのことだ。だが、あるひとには「たりないところ」が「不便」をこえて「障害」になる。いったい、なぜこのようなことが生じるのか。つまり、この社会は、あるひとの「障害」には不便がすぎないように一定の便宜を提供しているのである。そして、そうした便宜が じゅうぶんに提供されていないひとたちが、いわゆる「障害者」なのである。
159ページ。


ピョンさんは、「障害は事故によって生じるのではなく、われわれ だれもが かかえている「障害」をめぐっての社会的支援のちがい、その根づよい障壁によって もたらされる」と結論づけています(160ページ)。

たった3ページ弱の みじかいエッセイなのですが、ものすごく はっきりと「障害とはなにか」を論じているため、興奮して よんだのを おぼえています。


リンク1:hituziのブログ 無料体験コースでピョン・ヂョンスに言及した記事。

リンク2:石川准(いしかわ・じゅん)さんのサイト