hituziのブログじゃがー

あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

集団主義をこえて、世界をいきる

反日デモにせよ、反中国デモにせよ、韓国で集団主義的に さわいでいることに、なんでもかんでも肯定的にみるのは ちょっと いやだなあと感じてしまう。みくだして、あざわらうのは論外にしてもさ。まあ、日本では韓国の反中国デモとかは あんまり しられていないか。あれも はげしいよね。はげしいから いやだなあと おもうのではなくて、その思想の方向性の問題。

韓国の反アメリカデモは「ろうそくデモ」とか、おもしろいし、魅力を感じる。だけど、反中国デモとかをみると「あーあ、はやく やめましょうよ」と感じる。排外的なナショナリズムでしかないから。もちろん、中国側で あおっている側面もあるやね。


いいたいのは どういうことかというと、韓国にいる キョクサ(極左)の友人たちとか、わたしの お気にいりの批評家たちは、そうした騒動があるたびに、いやーーーーーーな気分にさせられていることを おもうと、あーあと おもってしまうのだ。たいせつなのは、どこに共感し、だれに おもいをはせるのかってことじゃないかな。

日本のウヨクたちは、よくもまあ韓国のウヨクたちと「仲よく」集団主義を のさばらせている。いつまで やるんだか。うっとおしいだけだ。

ぶちこわすべきは、日本のウヨクと韓国のウヨクの わけのわからない「敵対的共犯関係」だ。敵対的共犯関係というのは、イム・ヂヒョンさんの『敵対的共犯者たち』の表現によっている。


それにしてもだよ。日本と朝鮮半島は、まだまだ非対称な関係にあります。このまえ、朝鮮料理屋で おばちゃんが いってたはなしを紹介しておきますよ。

  • 韓国に いって同胞(在日)だと いうと、なんだ ことばも しゃべれないのかと非難される。
  • 最近は学習して、日本人だと いうことにしている。そしたら、ウリマル(われわれのことば)が わかるのかいと、よろこんでもらえる。

世界を単位にして、世の中を よりよくしていくことを めざさないかぎり、そんなのサヨクナショナリズムじゃんと おもってしまう。いま現に、世界を単位にして だれもが生活しているのだからさ。石油に依存した生活をしているかぎり、この地球環境で生活しているかぎり、だれもが「世界をいきている」のだから。


だから、なにか理念で つながっていたい。なにかについて、これについて、あれについて。ちょっとしたもので いい。かさなる部分が すこしでも いい。世界を いきるためになら、つながっていけば いいんだ。