「反対の声にだけ「対話」を要求する」論法。
うえの記事に、つぎのようなコメントが ついていました。
ハイ、終了。残念。>『ちょっとでも かんがえてみれば、天皇制なんて いやだと感じるのが あたりまえなんだよ。
「ちょっとでも かんがえてみれば、天皇制なんて いやだと感じるのが あたりまえなんだよ。」というのは、わたしの文章です。おそらく、このコメントを かいた ひとは、天皇制を「いやだと感じない ひともいる」、だから、「いやだと感じるのが あたりまえ」というのは「議論を おわらせてしまう」、「対話にならない」という指摘なのだろうと おもいます。わたしは、こういう指摘が ものすごく きらいです。良識ぶった発言ですが、まったくもって不誠実な態度です。こういう態度を「民主主義的」などと みとめることはできないのです。
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
天皇制に反対な日本国民なんて、いくらでも います。ですから、民主主義的な態度にたつなら、天皇の地位が「主権の存する日本国民の総意に」もとづいていない、「ハイ、天皇制 終了。残念。」となるはずです。
総意に もとづいていないのに、「総意に基く」などと憲法に かいてある。この状態は、なんといえば いいのでしょうか。
終了?
それとも、「ばかやろう、まだ はじまってもいねえよ」?
天皇制 廃止、靖国 解体、戸籍制度 廃止、自衛隊 解体、原子力発電所 停止、日米安保 解消。それを やらないと日本国憲法というものは、「終了」だし、「ばかやろう、まだ はじまってもいねえよ」。