hituziのブログじゃがー

あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

飼料米の可能性(コメを 家畜の えさにする)。

 日本では食糧自給率について、おおきく誤解されている。それは、先進国は食料を 輸入する側で、第三世界は食料を 輸出する側だというものだ。じっさいのところは、佐久間智子(さくま・さとこ)「食糧自給と自由貿易」『オルタ』2008年 7・8号で つぎのように説明されている。


 実際、世界の食糧輸出国上位10ヶ国のうち、9ヶ国までが先進国である。特に穀物に関しては、輸出全体の7割以上を先進国が占めている。逆に、食糧純輸入国である先進国は、日本、韓国、台湾、イスラエル、スイス、ノルウェーなど数ヶ国に過ぎず、先進国の中では少数派だ。途上国と言われる地域でも、南米のブラジルやアルゼンチン、メキシコ、チリ、アジアではタイやベトナムのように、中所得国とされる国々のなかに輸出大国が存在する一方、…中略…最貧国のほぼすべてが純輸入国である。
(18ページ)

 うえの記事では米粉(こめこ)を とりあげました。米粉は最近どんどん注目があつまっています。そして もうひとつ、すこしずつ注目を あびつつあるのが飼料米(しりょうまい)です。

 現在、ウシ、ブタ、ニワトリを 日本で そだてるために、たくさんの穀物アメリカ、カナダなどから輸入しています。飼料の自給率は格段と ひくいのです。その現状を かえていこうという提案があります。なぜでしょうか。


 まず、榊田みどり(さかきだ・みどり)「日本の畜産はどこへ行く? 転機に立つ輸入依存型の農業経営」『オルタ』2008年 7・8月号を みてみよう。


食糧自給を率の向上を訴え続けてきた日本農業界だが、実はその生産段階では、農業機械を動かすための燃料、化学肥料原料、そして畜産・酪農を支える飼料用穀物のトウモロコシや大豆と、生産基盤となる資源の大半は、海外からの輸入に依存しているのだ。
 とくに、家畜を飼育するための飼料(配合飼料)の高騰は、酪農・畜産経営を直撃している。日本の配合飼料の自給率は、わずか10パーセントしかないのだ。

 榊田によれば、酪農家や養鶏業者は、今回の飼料高騰で、つぎつぎと廃業に おいこまれたという。それは、「酪農・畜産の世界では、生産コストの5〜6割を飼料費が占める」からだ(14ページ)。


 ここで、世界の状況を みてみよう。榊田によれば、「EU圏内では、人間の主食でもある小麦や大麦を家畜飼料の主原料にしている。アメリカや中南米も、主食のひとつでもあるトウモロコシを使用している」。それなら、日本はどうか。「ところが日本は、米が主食でありながら、輸入トウモロコシに配合飼料の原料をほぼ100パーセント依存してきた」のだ(15ページ)。


 つまり、家畜の飼料は その地域の主食を 原料とするのが基本だということだ。コメを 家畜の えさにする。ひとによっては、もったいないように感じるのかもしれない。だが、それはトウモロコシを 主食としない文化圏に属しているからでだ。もったいないのは、コメもトウモロコシも かわることはない。だからこそ、先進国の いきすぎた肉食が批判されているのだ。できるかぎりであっても、ベジタリアンになる意義はある。だが、そのはなしは ここまでにしよう。

 わたしは、うえの記事で つぎのように かいた。


 日本でも、コメ騒動がおきた。1993年のことだ(1993年米騒動 - ウィキペディア)。タイ米が おいしくないという、たいへん失礼な声が でてきたのを、よく おぼえている。

 ひとつ、しらなかったことがある。それは、あのとき、タイ米の輸入に せりまけた地域があったということだ。日本が 突然 輸入した あの米たちは、いつもは どこに とどいていたのか。佐久間智子(さくま・さとこ)「食糧自給と自由貿易」『オルタ』2008年 7・8号を みてみよう。


冷夏によってコメ不足に陥った日本は国際市場からコメを買い漁り、挙句の果てにタイ米などを大量廃棄していた。他方では、コメを輸入に頼ってきた貧しい国々が買い負け、セネガルなどは深刻な飢餓に直面したのである。
(18ページ)


 コメ騒動は、カネに ものを いわせた暴力だったということだ。殺人と いったほうが適切なのかもしれない。


佐久間は、「主食穀物を自国内で生産することは世界の常識である」という。そして、「穀物自給率が28パーセントに過ぎない日本は、ひとたび国際市場の需給が逼迫[ひっぱく]すれば、購買力にものを言わせて最貧国から食糧を奪う存在となるのだ」としている(18ページ)。日本社会は、第三世界に飢餓を ひきおこす可能性を かかえこんでいるということだ。そして、米騒動のときのように、それを しらずにいつづけるのだ。


 ここで「主要穀物」というのは、「家畜の飼料」を ふくめてのことであるのを、わすれてはならない。いまでは、飼料米で そだてられたブタやニワトリのタマゴが流通しはじめている。榊田は「トキワの玄米玉子」「日本のこめ豚」「米豚」「やまと豚」などを 紹介している(「日本の畜産はどこへいく?」17ページ)。


 トウモロコシの畜産を 支持するのか。飼料米を 支持するのか。トウモロコシは相場の変動で、生産者に しわよせがいく。輸入の飼料にたよりつづけるかぎり、生産者は、飼料の値あがりで廃業を せまられる危険を かかえている。それでも、生産者のことを「他人ごと」だと かんがえつづけるかぎり、わたしたちは、これからも カネに ものを いわせてしまうだろう。


 『現代農業』などの雑誌を みれば、米粉飼料米のニーズが認識されているのが よくわかる。『現代農業』2009年2月号を みると「飼料米米粉需要にこたえるイネ超多収品種」という小特集が くまれている。

id:optical_frogさんに、つぎのようなコメントを いただいた。


タイ米のエピソードは良心に訴えますが,あれって例年の日本の米自給率が低くておきたことですか? 輸入コーヒーを買わないって,それ海外のコーヒー生産者の収入を減らすってことじゃないですか?|つスティグリッツ

 まず、「日本は国際市場からコメを買い漁り、挙句の果てにタイ米などを大量廃棄」したことを わすれてはなりません。そして、飼料を コメで まかなっていれば、その飼料米を 緊急避難として 人間が たべることができたわけです。もちろん、小麦や大豆の生産を あまり促進してこなかったという問題もあります。コメ不足のときに、コメ以外のものも きちんと自給できていれば、リスクは軽減できるからです。


 くりかえします。「主食は自給」が原則だということです。 そしてそれは、家畜の飼料は その地域の主食を 原料とするのが基本だということです。
 そして、熱帯などの地域でないと つくれないもの(嗜好品)は、輸入するのが当然です。ですが、モノカルチャーによるコーヒー生産は、どう かんがえても安定した収入には つながらないのです。だからフェアトレード(公平な貿易)が必要とされている。そもそも、嗜好品は ぜいたくのためにあることを、おもいかえす必要があるかと おもいます。id:Romanceさんが おっしゃるとおり、「アフリカのコーヒーが沖縄のより安いのがおかしい」ということです。コーヒーについては、『おいしいコーヒーの真実』という映画を みたりして、あらためて記事にしたいと おもいます。スティグリッツも よんでみたいと おもいます。ただ わたしが感じるのは、経済に くわしい ひとは 農業にも よく通じているかといえば、そうではないのではないかということです。わたしは、どちらも よく わかりません。だから、こうやって問題提起しながら、べんきょうしていきたいと おもっています。


 最後に、引用で記事を しめくくりたいと おもいます。


米作りを続けるのが現役百姓の役目でもある。人が食う米が余っているなら、家畜の飼料でもいいから、米を作り続けて田圃を残しておく。そうすれば、人が食う米が足りなくなったときでも対応できるんです。主食米が足りなくなったからといって、荒れた田ですぐにお米が作れるかといえばそうではない。