- 松永正義(まつなが・まさよし)『台湾を考えるむずかしさ』研文出版
うえの本を 本屋で ぱらよみしました。そのうち きちんと よみたいと おもいます。なにごとであれ、他者と むきあうということ、ある地域を 研究するということは政治的な いとなみです。朝鮮語を まなぶということも、おなじことです。
本屋の語学の本棚を みていると、『小学館 日韓辞典』が ありました。「あら?」と おもって みてみると、2008年に だされた辞書でした。小学館といえば『朝鮮語辞典』が有名です。あれは日本語話者が朝鮮語を まなぶために つくられた辞書でした。今回の『小学館 日韓辞典』も、おなじ目的で つくられています。つまり、朝鮮語話者が日本語を まなぶための辞書ではないということです。
今回は残念ながら「韓日辞典」ということになっています。これは「朝日」や「朝和」でも よいはずです。たとえば『コスモス朝和辞典 第2版』白水社のように。あるいは『パスポート朝鮮語辞典 朝和+和朝』白水社のように。
自分は「韓国語」を べんきょうしているんだと おもっている ひとでも、いちばん わかりやすい学習書は、野間秀樹(のま・ひでき)さんの『新・至福の朝鮮語』朝日出版社ではないかと おもいます。もちろん意見は ひとそれぞれでしょう。ひとついえるのは、言語学の知見を 活用したテキストは、たいていの場合、朝鮮語という用語を つかっているということです。
日本では朝鮮半島のことを 朝鮮半島と よんでいます。朝鮮半島に くらす ひとたちを 朝鮮民族と よんでいます。それならば、朝鮮半島で つかわれている言語は、朝鮮語と よんでいいはずです。
ただ、韓国のひとは朝鮮語を 「ハングゴ(韓国語)」と よんでいます。朝鮮半島を「ハンバンド(韓半島)」と よんでいます。そこで政治的な問題が うまれてきたのです。
いまの日本では「ちょうせんご(朝鮮語)」を 「かんこくご(韓国語)」と よぶことが ほとんどです。ですが、朝鮮半島の北側(朝鮮民主主義人民共和国)では、「チョソノ(朝鮮語)」と よばれています。それで、「かんこく・ちょうせんご(韓国・朝鮮語)」といった表現もあるわけです。
コリア語や、韓国語=朝鮮語といった表記も みられます。ですが、「ハングル・チョソングル」といった表現は、ほとんど みられません。「朝鮮文字(ハングル)」や「ハングル(朝鮮文字)」という表現も、ほとんど みられません。朝鮮の研究者を のぞけば、そういった表現は ほとんど みかけたことがありません。つまり、「朝鮮文字(チョソングル)」は わすれられているのです。しられずにいるのです。
南の韓国では、朝鮮語を 表記するために 一般的に つかっている文字を、ハングルと よんでいます。北の共和国では、チョソングルと よんでいます。たとえば、朝鮮のことばに関心がある ひとは、南北に関係なく、アンニョンハセヨという あいさつことばを もつ、あの ことば、「朝鮮のことば」が すきなのだと おもいます。朝鮮語に つかわれる、あの文字が すきだという ひとも いるでしょう。
塚本勲(つかもと・いさお)さんは『朝鮮語を考える』白帝社で、つぎのように のべています。
(146ページ)
「ハングル」という、この文字の名称は、韓国で用いられるが、朝鮮民主主義人民共和国では、普通使用されない。朝鮮民主主義人民共和国では、「朝鮮文字」というのが一般的である。ところが、「ハングル」が南北朝鮮全体のものとして、とりあげられている。
韓国のことばだけ、しかも ソウルのことばだけに関心があるというのは、実用のためだけに ことばを まなびたいということでしょう。それは つまり、「実用」のためだけに朝鮮と むきあうということです。朝鮮の一部だけを 相手にするということです。これは、「いいとこどり」を して、「都合よく たのしみたい」という態度に ほかなりません。ちがうのでしょうか。
日本人が 安易に韓国語と よびならわすことは、朝鮮と、いえ「韓国」とさえ、都合よく つきあっていきたいという意思の あらわれなのかもしれません。
「朝鮮文字」の欠落は、いまの日本人の「朝鮮」観を 反映している。わたしは、そのように感じます。
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