民族について、あるいは国民国家論。
- 小坂井敏晶(こざかい・としあき)『民族という虚構』東京大学出版会
- 酒井直樹(さかい・なおき)『死産される日本語・日本人』新曜社
- ましこ・ひでのり『日本人という自画像』三元社
- アンダーソン『定本 想像の共同体』書籍工房早山
- 田中克彦(たなか・かつひこ)『ことばと国家』岩波新書
- 西川長夫(にしかわ・ながお)『増補 国境の越え方』平凡社ライブラリー
- 花崎皋平(はなさき・こうへい)『増補 アイデンティティと共生の哲学』平凡社ライブラリー
- スチュアート・ヘンリ『民族幻想論』解放出版社
- エリクセン『エスニシティとナショナリズム』明石書店
アイデンティティについては、つぎの4冊を。
- 石川准(いしかわ・じゅん)『アイデンティティ・ゲーム―存在証明の社会学』新評論
- 石川准『人はなぜ認められたいのか―アイデンティティ依存の社会学』旬報社
- 上野千鶴子(うえの・ちづこ)編『脱アイデンティティ』勁草書房
- 伏見憲明(ふしみ・のりあき)『欲望問題』ポット出版
つぎのふたつの文章を ふまえておくと、わりかし すんなり理解できるかと おもいます。
民族フリーの日本人。もといヤマト人。スペイン語ではなく「カスティーリャ語」と表現するのが適切なのと おなじこと。日本人というのは、特権的に意味があいまい。アイヌ人は民族名でしかありえない。
民族主義が いつも少数派のものなのは、多数派は国家を支配している国民だから。多数派のナショナリズムは国家主義。あるいは、帝国主義。
全体が日本社会で生活しているひと。そこからマイノリティを ひきざんして のこるのが多数派。和人といわずにすむのは、頭からアイヌを けしているから。ヤマトと いわないのは、おきなわを わすれるから。そう よばれているのに名前を わすれるのは、そもそも むきあってないということ。
ヤマト人としての自覚が必要だと いいたいのではない。きちんと説明するためには日本人などではなく、ヤマト人という用語が必要になるということ。ほかには、多数派日本人という表現もある。
民族意識は、支配されて抑圧されて その結果、相互作用として つくられるもの。そういう民族意識を多数派が もってみたところで たいした意義はない。
言語も、文化も ヤマト人のものはすべて日常に くみこまれている。空気として。だから民族的になる必要がない。そういう特権がある。
こちらが なぐった。だから あなたは抵抗する。あなたの その民族意識を「肯定する」は おかしい。その背景にある抑圧を解体すると いわなくてはいけない。たいせつなのは、多数派にはマイノリティの抵抗に「いい」だ「わるい」だ価値判断できるような政治的な位置にはいないということ。だからこそ、朝鮮人の「民族主義を 肯定する」などとは いえない。肯定すれば いいってことじゃないんだもの。こちらが暴力を ふるっている事実があるだけ。制度的差別を 解消せずにいる現実があるだけ。
無徴(むちょう)の日本人は、無色透明であるがゆえに、正義を かたることができる。マイノリティは、どうしても「抵抗のナショナリズム」と色づけられる。日本人が無徴で無色透明だというのは おもいあがりで、マイノリティを 色めがねで みているにすぎない。
無徴であるからこそ、帝国主義の国民でありながら、正義を 名のることができる。それは、しろいから。色が ついてないから。無徴だからこそ できること。
問題は、マイノリティが どんな戦略を とろうとしても、属性と関連して「色づけられる」ということ。色めがねを かけているのは多数派なのにもかかわらず、多数派は無色透明を きどっている。「正義」にもなれる。まさに自由自在。
多数派日本人のように、ことばや文化が 毎日の生活のなかに くみこまれていると、自分たちの集団性や国家主義に気づかない。少数派が、自分たちの ことばや文化にアクセスしようとすると「集団主義」などと いわれる。
(『民族という虚構』127ページ)
日本国籍を放棄するだけでなく、日本国家に属することをすべての次元において拒絶することが可能でない限り、「日本」という名の歴史的に育まれてきた虚構から逃れる術はない。
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