hituziのブログじゃがー

あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

ケーサツ権力と精神障害。

 うえの記事を かいたとき、わたしは ほとんど 頭が まわっていませんでした。かなしくて しかたが なかったのですね。


わたしは、知的障害者の施設で しごとを しています。きのうは当直でした。2時間くらいは ねむりました。けれども、ずっとずっと かんがえごとを していました。決着が ついたのか。結論は でたのか。なにも わかりません。

 その夜、ずっと かんがえごとを しながら、ある フレーズが 頭を まわっていました。そのフレーズが、どうしても はなれなかったのです。ただ、そのフレーズを かいてしまっても、どうにも ならないではないかと 感じられたので、かくのは やめたのでした。けれども、きょうは かきます。冷静な いま、かいておきます。


 それは、「わたしは ケーサツの テサキだ」ということでした。


 これは なにも、おおげさな はなしではありません。歴史を ふりかえってみるならば、あるいは現実を みるならば、かんたんに 確認できることです。

  • 芹沢一也(せりざわ・かずや)『狂気と犯罪―なぜ日本は世界一の精神病国家になったのか』講談社プラスアルファ新書。


 明治7年[1874年―引用者補足]3月、創設されたばかりの警視庁は、ひとつの命令を出した。
「狂病を発する者はその家族において厳重監護(かんご)せしむ」
 これは精神障害者の厳重な監督を家族に命じたものだ。
…中略…
 精神障害者の徘徊(はいかい)を禁じたこの命令は、この種の取り締まりとしては明治に入って最初のものだった。この命令から、いくつかのことがわかる。
 第一に、当時、精神障害者はある程度、自由に社会を歩いていたこと。第二に、しかしながら、明治の社会はそのような事態に、次第に敏感になり始めていたこと。そして第三に、精神障害者の徘徊を危険だとみなし、それを阻止(そし)しようとしたのが警察権力だったこと、である。
(45-46ページ)


 これは、どういうことなのか。


 精神障害者は危険だとして、社会を徘徊することが禁じられた。彼らは社会の住人であることを否定されたのだ。そして、精神障害者を取り巻く監禁網(かんきんもう)が社会に張り巡らされた。これが社会における「狂気」の歴史だ。
(141ページ)


 入所施設も 精神病院も、ケーサツの したうけ作業を しているのです。これは否定しがたい現実のように おもいます。



 わたしが うまれそだち、いまも生活している実家の すぐ ちかくに、精神病院が ある。わたしが うまれたときからある。


 わたしの 手もとには『自由こそ治療だ―イタリア精神病院解体のレポート』という本が ある。この本に かいてあることを 実現させるということは、あの精神病院を、精神病院ではないものに することだ。



 2005年の春、わたしは精神障害者の作業所でアルバイトを しようと、面接に いった。3日間の職場体験を させていただいた。アルバイトに いっていた イタリア料理屋が きゅうに いそがしくなったので、結局 作業所で しごとを することは なかった。3日間だけであったが、いっしょに作業しながら、たのしく おはなししたのを おぼえている。


 病院のなか。わたしたちは、なにを しっているのか。社会的排除の現実から 意識を そむけたままでは、社会を しることなど できない。わたしたちは、「排除のあと」を、排除した あとの 社会を いきているのだ。


 それならば、まず現実を しることだ。そのためにまず、大熊一夫(おおくま・かずお)『ルポ・精神病棟』、『新 ルポ・精神病棟』(どちらも朝日文庫)を よんでみなくては いけない。


 せりざわ『狂気と犯罪』に はなしを もどす。


…われわれの社会には現在でも、約34万の精神科病床が存在している。この数の膨大さが想像できるだろうか。
 日本の病院には現在、約140万人の入院患者がいる。そのうち精神障害者は約34万人であるから、実に日本の入院患者の4人にひとりが精神障害者なのだ。
 しかも、医療法特例で精神病院には患者48人にひとりの医師がいればよいことになっている。普通病院では患者16人にひとりの医師が必要なのに。何よりも患者との対話による医師の理解が必要だとされている精神医療であるにもかかわらず、最も少ない医師しかいないのが精神病院なのだ。
(211-212ページ)


 この状態を のりきるために、現場は なにを するか。わたしには 想像できる気がする。それは、薬を ふやすこと。そして場合によっては 身体拘束(こうそく)。


 これは、大熊が あきらかにしてきたとおり、老人介護の現場でも おなじ状況が つづいている。

  • 大熊一夫「縛り放題! 閉じこめ放題! あぁ……」『ケアすること―ケア その思想と実践 2』岩波書店


 一番の問題は、…中略…人手の薄さだろう。縛られたり閉じ込められたりする犠牲者の数は、お世話の人手の「数」と「質」で決まってしまう。これは厳然たる事実だ。国基準ぎりぎりの人手、つまりお年寄り3人に対してお世話の職員一人の施設で安心介護が行われた例など、私はお目にかかったためしがない。
(166ページ)


 『レナードの朝』という映画が ある。あの映画で、「患者」である主人公が「医者」に抗議する場面が むねに つきささる。その「医者」と、わたしたちは 契約を むすんでいるのだ。


 「よろしく たのむ」と。



 そんな社会が、よろしいはずが ない。

  • 大熊一夫 『ルポ 老人病棟』朝日文庫
  • 吉岡 充(よしおか・みつる)/田中とも江(たなか・ともえ) 編 『縛らない看護』医学書
  • 山本譲司(やまもと・じょうじ)『累犯障害者』新潮社