まなびの場所で。
わたしは2005年の6月から(ほそぼそと)カルチャーセンターで朝鮮語を おしえています。カルチャーセンターで おしえるチャンスが あれば いーなーと おもっていたところだったので、そのチャンスを いただいたときは ものすごく うれしかったのを おぼえています。その おかげで、3ヶ月ではあっても高校で朝鮮語を おしえる機会を いただいたわけですし。ありがたいことです。
うえの記事に かきましたとおり、朝鮮語を まなぶこと、そして、おしえることについては、あれこれと かんがえることが あります。そもそも、おしえるということは 気軽には できないもので、責任を 感じます。それでも、たのしい講座になるよう、いつも じょうだんを とばしています。おかげさまで、毎回 たのしい2時間を すごしています。受講してくださっている かたが、すばらしいからでございます。
うえのブログで ご紹介いただきましたとおり、わたしは 11月30日と12月1日に おおさかに いってきまして、12月1日には「いくの オモニハッキョ」さんに おじゃましてきました。前回、うえのブログの id:F1977さんに『ありがとう。そして これからも 生野オモニハッキョ 30周年記念誌・文集』第6号を いただいていたのですが、これは わたしの受講生さまたちにも さしあげたい、よんでいただきたいと おもって、文集を かってきたのでした。こんなところに いってきたんですよーと いいつつ 文集を おみせすることに意味があるだろうと おもっていたので、オモニハッキョに おじゃましたのです。関心を もたれた かたは、文集のチラシ(PDF)を みてください。
きょうは 月2回のカルチャーでしたが、なにぶん当直あけでしたので、あーーーんと おもっていたのですが、よく ねむれたこともあり、元気に おはなしできました。
鶴橋(つるはし)に いったことが ありますかと きいてみたところ、やっぱり あるんですね。さすが。けれども、駅から すこし あるいたところにコリアンタウンが あるんですよと いってみたところ、ご存じないとのことでした。『多みんぞくニホン―在日外国人のくらし』に のっている 生野(いくの)の 写真を おみせしながら、こんなかんじなんですよーと おはなししたのでした。って、わたし まだ 2回しか いったことが ございません…。はじめて つるはしに いったのは 2005年だと おもいますが、駅周辺で 満足してしまって、あとは なにも しらずに かえってしまったのでした。解放社会学会の大会に ひがえりで いってきた日ですね。
それで、チェジュド(済州島)のはなしを して、写真を おみせしながら チェジュドの名物を おはなししました。で、きょう用意した プリントには『チェジュド方言』未来出版社という本から一部 とりだしてきた文章を ソウルことばと 対比させておいたので、意味を 把握しながら、チェジュドの ことばを 声にだして いっしょに発音してみたのでした。
その したに、二言語併記の『うちなあぐち賛歌』三元社から 一部を 引用して、ことばを 「方言」と よぶことの政治性について、ちょっと かんがえてみていただきました。
(比嘉清(ふぃざ・きよし/ひが・きよし)『うちなあぐち賛歌』47-48ページ)
うちなあぐちんかい対(てえ)する「方言」呼称が、実(じち)え、後々(あとぅあとぅ)うちなあぐちが、うちうちいとぅ見(ん)だりいるくとぅんかい成てぃ、うちなあぐち復興運動、進(しし)みゆるばす、いいくる妨ぎとぅ成たいさんがやあんでぃ考(かんげ)えゆしえ、考え過(し)じやいびいがやあ。
(うちなあぐちに対する「方言」呼称が、じつは後々、うちなあぐちを軽視する意識を植え付けることになり、うちなあぐち復権運動を進める上で、弊害を生じさせ、またその恐れがあるのではないかと考えるのは、考えすぎでしょうか。)
『うちなあぐち賛歌』については、つぎのページが参考になります。
さて、いろいろと おはなしを したのですが、1948年の チェジュ4.3事件の はなしを へて、 「いくのオモニハッキョ」に 話題を うつしました(済州島四・三事件 - ウィキペディア)。わたしの講座には いまは高齢の かたが おこしなので、文集を みて、いろいろと感じられていました。すごいなあ、よお かいてますねえと おどろかれながら、ひとつひとつ 文集に おさめられた文章を よまれていました。文集に こめられた おもいが つたわっていたように 感じました。
在日朝鮮人の国籍については、うえのページで くわしく解説されていますが、そんなことも はなしながら、歴史のこと、いまのこと、おかやまや おおさかのことを はなしあったのでした。
職場で わたしの論文を とりあげてくださっているという はなしを、おききすることが ありますが、わたしも 職場で できることを やっていきたいものだと おもいます。そもそも、わたしの しごとは 福祉にしても、語学教室にしても、きちんと社会に つながっているべきものなのですから。
最後に、いかに文集に かいてある文章を かくのが たいへんかということを、朝鮮語に訳していただきながら実感していただきました。わたしは、ゆるいことを いいながら スパルタで しごくのを モットーにしているので、アメとムチの シーソーゲームで、頭を かかえながらも、がんばって訳されていました。
アメとムチの基本は、いかに ほめるかということですね。それから、苦笑させてしまうほどに 頭が混乱するような問題を だすこと。わたしは「わはははは」と わらいながら、ちょっとずつ ヒントを だしつつ、きっちり訳していただきました。
まなびの場所で、ちがった立場に ある ひとのことを かんがえること。そのひとたちと、自分たちの 関係を かんがえてみること。とおい はなしのようで、つながっていること。それでも、みつめずに きてしまったこと。いろんなことを いっしょに かんがえながら、ともに いきる社会を つくっていきたいと おもいます。
さいごに、徐勝(そ・すん)さんの『だれにも故郷(コヒャン)はあるものだ―在日朝鮮人とわたし』社会評論社の一節を ひいて、しめくくりたいと おもいます。いつまでも、わすれては いけないことだと おもっています。日本社会の宿題です。
(29-30ページ)
今日においては、共生は政府のお墨付きになり、内閣府に共生社会政策統括官が置かれ、各地に多文化共生を掲げる各種の団体・機関がある。
共生の名の下に多少なりとも差別がなくなったと、すなおに喜ぶ人もいるが、私のようなヘソ曲がりの老人には、朝鮮人への迫害が止むことのない社会で横行している「多文化共生」という言葉はマヤカシでしかないように思える。