hituziのブログじゃがー

あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

ヤマダカント「ありがたられ効果」

 うえの記事は、あたえることには 意識的。うばいとることには 無自覚。 - hituziのブログじゃがー の 続編として かいたものですが、ひとつ理論的 背景が あります。それは、「ありがたい」ということ。の いちばん 最後に 紹介した つぎの文章です。

  • ヤマダカント「大言語話者による小言語学習/ 教育/研究の陥穽―「ありがたがられ効果」という用語の提案」『社会言語学』1号(追記:PDFが公開された)

 一部 引用してみます。


 大言語話者が小言語を使用すると、小言語話者集団から意外な行為と受け取られたり、「こんな小言語をわざわざ学んでくれるなんて奇特な人だ」思われたりすることが、少なくともその逆の言語使用と比べると非常に頻繁に起こる。こうした反応の存在は、大言語話者による小言語学習をより一層、快適なものにする。
(102ページ)


 このような状況を、ヤマダカントは「ありがたられ効果」という用語を つかって説明している。


 大言語が小言語話者に強制され、小言語の存続がおびやかされる状況を言いあてる用語としては「言語差別」だとか「言語帝国主義」などというものがある。一方、大言語話者が小言語を学習/教育/研究する際に、快適さを生じさせるイデオロギーを言いあてる用語はみあたらない。このことは、まさにこの問題が多くの人々に意識されたり共有されたりしていない現状を示している。そこで、このイデオロギーを言いあてる「ありがたられ効果」という用語を提案したい。
(103ページ)


 この視点は、何度も紹介している「配慮の平等」という視点と おなじく、するどく多数派と少数派の関係性を 説明しています。


 たとえば、あなたが だれかの介護を しているとしましょう。そして、あなたが なにか ミスを して、あいてが 頭を うったとしましょう。ケアされる側は、いたがり、「もーーーーーっ」と、ちょっぴり おこるかもしれません。そして、ほどなく「まあ ゆるしてあげる」「また きてくれんと こまるから」と いうかもしれません。


 そのとき、あなたは いうでしょう。「こないなんてことは ないですよ」。「また、きますから」。


 けれども、ポイントは 「また くるか どうか」には ないのです。ここで重要なのは、「きてくれないと、こまるんだ」ということに ほかなりません。そのひとは、そういった状況に いるわけです。それなら もはや、そこに「対等な関係」などというものは、ありえるはずが ないのです。ケアされる側は、「ありがとう」と、いわざるを えない状況に いるのです。


 なにかが「ありがたい」ということ。そして、「ありがとう」と いわれること。こうして かんがえてみると、「ありがとう」というのは、なんとも ふくみのある ことばです。それを、わすれないでおきたいと おもいました。