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あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

弱視者の読書権を めぐって。

 「視覚障害」と きいて、あなたは なにを 連想するだろうか。

 おそらく、うえの みっつは 違和感なく 感じられるのではないだろうか。ほとんど、「視覚障害者といえば点字」というイメージが できあがってしまっている。だが、すこし かんがえてみよう。


 視覚障害者のなかには、先天盲や中途失明者の ほかにも、弱視者(低視力者)が いる。この点が、あまりにも かんたんに わすれられている。これは なにも、障害者と かかわりを もたない ひとに かぎらない。


 倉本智明(くらもと・ともあき)さんの「障害者文化と障害者身体─盲文化を中心に」『解放社会学研究』12号、31-42を みてほしい。


点字の市民権獲得をめざす盲人運動の成家として、国会議員や自治体の首長・議員選挙における点字投票、点字による郵便物の宛先表示の公認等、その流通範囲は拡大されてきている。しかし、福祉事務所からの連絡や障害年金の通知などをも含め、点字を必要とする盲人に対して、大半の行政当局は未だ墨字の文書を送りつけている。
 ただ、こうした状況下、点字の市民権獲得に意識が集中するあまり、点字を読むことのできない者、あるいは、点字以外のメディアの方がより親しみやすく感じられる者のニーズは、少なくともある時期までなおざりにされてきた感は否めない。文字媒体を代替するメディアとしてテープレコーダーが普及するようになるのが1950年代だというのは理解できる。録音・再生機材の技術水準や市場規模と連動するその利用コストの問題から、その登場がこの時期となることはやむをえなかっただろうからだ。だが、拡大文字の普及は未だ微々たる範囲にとどまっている。駅の券売機に点字表示があることはもはやあたりまえのこととなったが、拡大文字による表示がされていることはごく希である。そのため、普通サイズの墨字を読むことはできず、さりとて点字も読めないという弱視者が、点字の読める全盲者に切符を買ってもらうという興味深い状況がいま生じている[倉本,1997b]。もちろん、点字を読み書きすることのできない現在の多くの弱視者とはちがい、盲界にくらすかつての弱視者のかなりの部分は、盲学校における弱視者教育の方針がいまとは異なっていたことなどから、それを読み書きできるのが普通だった。しかし、それは彼ら/彼女らの身体にとって最も適合的・親和的なメディアだったのだろうか。
 ここでは、「視覚障害者」のメディアとして、点字のほかに、テープレコーダー(つまり、録音されたもの)と拡大文字が あげられている。

 はたして、いまの日本社会において、「視覚障害」の中身は、どれほど充実しているのだろうか。まず、認識のレベルは どれほどのものなのだろうか。そして、社会環境は どれほど充実したと いえるのか。


 現状では、視覚障害と きいて、弱視(低視力、ロー・ビジョン)を イメージできるひとは、それほど いないのではないだろうか。はたして、拡大文字(拡大写本、拡大図書、拡大読書機など)のニーズは、どれだけ保障されているのだろうか。


 たとえば、愼英弘(しん・よんほん)さんの名著『視覚障害者に接するヒント』解放出版社では、弱視者や拡大文字については ふれられていない。また、「障害者差別禁止法」制定作業チーム 編『当事者がつくる障害者差別禁止法』現代書館という本でも、その「障害者差別禁止法【要綱案】」は、「点字は日本語の書記手段の一つである」、「視覚に障害をもつ人は点字を使用する権利を有する」という記述にとどまっている(83ページ)。


 以下では、市橋正晴(いちはし・まさはる)/視覚障害者読書権保障協議会編 1998『読書権ってなあに』上・下、大活字を 参照しつつ、解説してみたい。


 もっとも、これまで 弱視者の権利が まったく 議論されてこなかったわけでは もちろんない。1978年には 弱視者問題研究会が 結成され、視覚障害者読書権保障協議会に 加盟している。

 「識字のユニバーサルデザインにむけて―表記改革と文字情報サービスをめぐって」で解説したとおり、視覚障害者読書権保障協議会は 1970年に結成された。この協議会は、「読書権の公的保障」を 主張し、具体的には「公共・国会・大学図書館における障害者サービスの実施、公共図書館や他の公的施設における文字情報サービスの実施、点訳者や音訳者などのサービス提供者に対する公的資金による報酬の支払い、ユーザー・ニーズを的確につかむための障害者職員の採用などを提案し、訴えてきた」(上:5ページ)。

 視覚障害者読書権保障協議会を 結成した人物の ひとりの 市橋正晴(いちはし・まさはる)は、弱視者であった。だが、当初 いちはしは、「拡大写本」については それほど重点を おかなかった。それは拡大写本には労力が かかるため、対面朗読に重点をおいてきたからだという。その「遠慮」が みなおされたのは、イギリス・ドイツの図書館サービスや 出版事情を 視察したことが きっかけとなったという。(下:450ページ)。『読書権ってなあに』下巻には、第7章「弱視者問題を考える」と第8章「大活字出版への情熱」が おさめられている。


 さて、それでは現状は どうなのか。


 1987年に 図書館員の山内 薫(やまうち・かおる)さんの『拡大写本の作り方―弱視の人に手書きの本を』が出版されている。
 それから、読書工房から、以下のような 本が出版されている。
 2006年、公共図書館で働く視覚障害職員の会(なごや会)編『本のアクセシビリティを考える―著作権・出版権・読書権の調和をめざして』と 出版UD(ユーディー、ユニバーサルデザイン)研究会 編『出版のユニバーサルデザインを考える―だれでも読める・楽しめる読書環境をめざして』
 2007年、宇野和博(うの・かずひろ)さんの『拡大教科書がわかる本―すべての見えにくい子どもたちのために』
 
 こうした本が出版されてきて、ようやく 実を むすんだのが、2008年6月10日に 衆議院本会議で全会一致で可決され 成立した「教科用特定図書普及促進法」、いわゆる 教科書バリアフリー法である。


障害のある児童及び生徒のための教科用特定図書等の普及の促進等に関する法律を みてみよう。


第二条 この法律において「教科用特定図書等」とは、視覚障害のある児童及び生徒の学習の用に供するため文字、図形等を拡大して検定教科用図書等を複製した図書(以下「教科用拡大図書」という。)、点字により検定教科用図書等を複製した図書その他障害のある児童及び生徒の学習の用に供するため作成した教材であって検定教科用図書等に代えて使用し得るものをいう。

 もうすこし わかりやすい解説として、井上芳郎(いのうえ・よしろう)さんの「教科書のバリアフリー化に向けて一歩前進」ノーマライゼーション』2008年8月号、42-45を あげておく。いのうえは、つぎのように解説している。


 この法律は、主に弱視児童生徒の教育や支援に携わる関係者からの長年にわたる働きかけにより実現したもので、これまで不十分であった拡大教科書の供給体制整備を、国の責務として明確化させ、また拡大教科書の製作を促進させる目的から、ボランティア団体等へ原稿用デジタルデータを提供するよう教科書出版社に対し義務づけることとした。
 さらに、発達障害等の理由で通常の教科書での学習が困難な児童生徒にも拡大教科書等の活用ができるよう、調査研究を推進するものとした。関連して著作権法第33条の2の一部が改正され、はじめて著作権法において「発達障害」等に対する配慮が明記された。
 いのうえは、拡大教科書の現状を、つぎのように説明している。

 小・中学校の通常学級に在籍する弱視児童生徒に対して、国による拡大教科書の無償供与がはじめられたのは、義務教育であるにもかかわらず、ようやく2004年度になってからであった。
 しかし実際には教科書出版社から発行される拡大教科書は少なく、その多くがボランティア団体の努力により製作されている。しかし製作には多大な時間と労力とを要するため、供給が需要に追いつかないのが現状である。
 2004年1月の著作権法改正により、ボランティア団体が拡大教科書を作成する際には、著作権者の許諾を得ずとも複製が可能となったが、デジタルデータ提供については難色を示す出版社が多く、ボランティアの方たちは相も変わらず手入力やスキャナーで取り込みOCRにかけるといった労を強いられている。2006年7月以来、文部科学大臣名で出版社側に対し、拡大教科書の出版やデジタルデータ提供の要請が行われてはいるが、状況はあまり改善されていないようである。
 一般の書籍ではなく、教科書ですら こうした現状であるということに、注意する 必要がある。


 さて、「視覚障害といえば点字」という一般的なイメージについて、はなしを もどしたい。「視覚障害者の文字習得」(『日本語学』1991年 10(3)、38-46)について 論じた 徳田克巳(とくだ・かつみ)は、中途失明者の場合、点字の学習が ひじょうに 困難になると指摘している。とくだは、つぎのように説明している。


視力を失う時期が高年齢になるほど、点字の習得に相応の努力が必要となってくる。…中略…特に、20歳以降の失明では実用的な点字読み書き能力が身につかないケースが多く、読みの手段として、対面朗読やテープによる録音図書の利用が多くなる(とくだ1991:39)。
 また、とくだは「特に最近は、壮年期の糖尿病による失明が増加しており、糖尿病患者では症状として指先の感覚が鈍くなるために点字の習得は極めて難しい」のだとしている。日本の全盲者(推定16万人)のうち、「実用的なレベルでの点字使用者は約3万人程度」であり、「残りの13万人のほとんどが中途失明者」であるというから、おとなになって 点字の「ゆびよみ」を 学習することの むずかしさが うかがえる(同上)。


 点字さえ あれば、「視覚障害者」の読書権が 保障されるわけではない。読書権を 保障していくためには、人間の多様性について じゅうぶんに 認識していく必要があるのだ。


 たくさんの かたが、『出版のユニバーサルデザインを考える―だれでも読める・楽しめる読書環境をめざして』を よんでくださることを ねがいます。


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