あと大事なのは、あなたの政治的営為が功を奏し、あなた自身が多数派に属するようになった時、
(あなたがいうところの)少数派をどう遇するか、ということです。
皇室制度の廃止に反対する少数派をあなたがどう遇するか、
どう斬り捨て、どう踏みにじるか、それが重要です。
まさか想像したことがないなんてことはありませんよね。
まだ議論の途中ですが、あまりに印象的だったので、記事にしておきます。うえのコメントに、わたしは つぎのように かえしました。
「皇室制度の廃止に反対する少数派」などというのは、こうやって表現してみれば、いかにも「弱者」のような存在にみえますが、わたしは皇室が人間を 抑圧する制度であると認識しているのですから、そのような意見を尊重するつもりはありません。ですが、ちょっと まってください。
ほんの一瞬だけ仮想ゲームをして、こちらの態度を みて、それみたことか、おなじことではないか、少数派きりすてじゃないかというのは、議論として くだらないと感じます。
わたしは天皇制が 人間を 抑圧するものだと かんがえます。それは天皇家の ひとびとをも、抑圧するものだと かんがえています。それならば、わたしの議論が「多数派を獲得」して、天皇制を廃止することが可能になったときに、いきなり、ああ天皇制を存続しようという意見は少数派だから尊重しなければならないと わたしが主張したとすれば、それはパロディーですよ。
これは、つぎの記事で話題にしたことと、よくにた問題です。
あるいは、id:zarudoraさんが「命名、妖怪「どっちもどっち」」で指摘されたことにも、よく にています。
一瞬だけという点でいえば、つぎの記事で指摘したことにも にているかもしれません。
「仮想ゲーム」。「もし」。「たとえば」で、相手を ためす。そして、「そらみたことか!」
もう、そんなこと いわれたら「ちょっと まってください!」とか いえなくなりますわ。都合のよい仮想ゲームで、「どっちもどっち」、「おまえも おなじだ」って。いやあ、議論として それは ないなあ。むちゃくちゃじゃないですか?
ともかく、にがわらい。あんまり わらえない。
結局のところ、たいせつなのは「少数派とは いったい どのような存在を さすのか」ということです。その点に 意見のくいちがいが あれば、議論は 平行線を たどります。それでは、多数派と少数派の関係性について論じた記事を、ならべておきます。
- 少数派には名前がある(ベジタリアンをめぐって)。 - hituziのブログじゃがー
- 多数派には名前がない(多数派の「オフサイド トラップ」)。 - hituziのブログじゃがー
- だれでも ない あなたへ(ベジタリアンには名前がある。では、あなたは?)。 - hituziのブログじゃがー
- 10年まえのレポート(「民族フリー」のヤマト人)。 - hituziのブログじゃがー
- 「配慮の平等」という視点 - hituziのブログじゃがー
- こぼれおちたのは、異性愛か。それとも同性愛か。 - hituziのブログじゃがー
- マイノリティについて - hituziのブログじゃがー
- あたえることには 意識的。うばいとることには 無自覚。 - hituziのブログじゃがー
- 「ありがたい」ということ - hituziのブログじゃがー
- ヤマダカント「ありがたられ効果」 - hituziのブログじゃがー