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『地名の社会学』

今尾恵介(いまお・けいすけ)『地名の社会学角川選書


地名が すきだというひとは、やっかいなものだ。「いまの地名」を 固定的にとらえ、それを 愛するから。


 膠着語の日本語ではひらがな地名は不便
 日本語は言語学的な分類で「膠着語(こうちゃくご)」という。文字通り助詞などの膠(にかわ)的なもので単語をつなぎ合わせる言葉であり、英語などのように単語を分かち書きしないので、このようにひらがなばかりで書くと意味がわかりにくくなる。そのため、日本人は名詞に漢字を適宜使うことで迅速に文意を把握できるようにしてきた。
「横浜から叔父が来た」「わかりやすい名古屋の歴史」とあれば瞬時に内容が理解できる。しかしこれが、「あわらから叔父が来た」「わかりやすいみなべの歴史」となるとどうか。
(240ページから引用)


要するに、「ひらがな地名」に反対しているわけだ(リンク:「ウィキペディア - ひらがな・カタカナ地名」)。「実用上から見て地名は漢字表記の方がいい」と(241ページ)。


著者の今尾は「考えてみれば日本の地名は絶対これしか読めないというものは少なく、その意味ではいずれも難読地名である」と みとめている(221ページ)。この漢字表記の地名が もたらしている問題について、今尾は どのように かんがえるのだろうか。

今尾は、「しかし、一風変わった地名、難読の地名がそれほどデメリットかといえば、逆に印象的な地名であり、一度聞いたら忘れないという利点がある」という(228-229ページ)。


おかげさまで、日本で生活していると、毎日がクイズ番組だ。このひとのなまえは、なんと よめば いいのか。この住所は、なんと よむのか。


わからないなあ。


それで、だれもが すますことが できるなら、それでも かまわない。けれども、その漢字を ひらかなければ ならないときがある。たとえば、点訳や音訳を するときだ。あるいは、翻訳を するときも同様だ。


つまり日本語の世界は、すでに「漢字のウチ」と「漢字のソト」を 包括しているのだ。漢字表記するだけで、それで よしとすることは できないということだ。

ひらがなで表記すると、「よみにくい」?。それなら、カタカナでかく方法もある。わかちがきを する方法もある。あるいは、カッコに よみかたを かくという方法もある。


「生まれはやまがただけど育ちはおかやまです」。

これが よみにくいというなら、

「うまれは やまがた だけど そだちは おかやまです」。
「生まれはヤマガタだけど育ちはオカヤマです」。
「生まれは山形(やまがた)だけど育ちは岡山(おかやま)です」。

この いずれかの表記を えらべば解決することだ。


漢字表記か、かな表記かの二者択一などではない。


地名は、公共の場で明示されるものだ。それが よめなければ、公共のものにアクセスできなくなる。だから、駅などでは、きちんと よみが表示されているのだ。

だが、本やウェブ上などで、それと同様のことが実践されているかといえば、ほとんど てつかずなのが現状だ。


本でもいい、ウェブ上のニュースでもいい、それらは すべて公共の財産である。それが「漢字のウチ」だけの論理で表示されるなら、その公共物から「漢字のソト」の日本語を 利用しているひとたちを 排除することになる。


この問題は、地名を 愛していようとも、むきあっていくべき問題ではないのか。むしろ、地名を 愛するがこそ、むきあっていくべき課題ではないのか。


参考:「漢字という障害(2006)」ましこ・ひでのり編『ことば/権力/差別』三元社。