坂口安吾(さかぐち・あんご)は、「戦争論」という評論で つぎのように のべています。
家も、又、垣の一つだ。何千年の人間の歴史が、この家の制度を今日まで伝承してきたからと云って、それだから、家の制度が合理であるとは云えない。
…中略…
家の制度があるために、人間は非常にバカになり、時には蒙昧な動物にすらなり、しかもそれを人倫と称し、本能の美とよんでいる。自分の子供のためには犠牲になるが、人の子供のためには犠牲にならない。それを人情と称している。かかる本能や、人情が、果して真実のものであろうか。
…中略…
家の制度というものが、今日の社会の秩序を保たしめているが、又、そのために、今日の社会の秩序には、多くの不合理があり、蒙昧があり、正しい向上をはばむものがあるのではないか。私はそれを疑るのだ。家は人間をゆがめていると私は思う。誰の子でもない、人間の子供。その正しさ、ひろさ、あたたかさは、家の子供にはないものである。
人間は、家の制度を失うことによって、現在までの秩序は失うけれども、それ以上の秩序を、わがものとすると私は信じているのだ。
坂口は、「私は思うに、最後の理想としては、子供は国家が育つべきものだ」としています。
この記事では、「ひとは、社会で そだつもの」ということを かんがえてみたいと おもいます。
おさない こどもさんを そだてていらっしゃる「親」の みなさん。家庭というものは、密室ですね。とざされた空間。そこで、一対一で接していれば、どうでしょう。なく。わめく。おなかが すいた。おしっこ。うんこ。ねむたい! うえーん!
けっこう たいへんなのではないでしょうか。こそだてというのは、ほんとうに たいへんなことだと おもいます。コミュニケーションに苦労し、おきたり ねたりに苦労し、かぜを ひいては 気をつかい。たいせつな お子さんだからこそ、たいへんだろうと おもいます。おつかれさまです。ほんとうに。
だれかに、おつかれさまと いってもらっていますか? ひとりで かかえこんではいないですか? なやみくるしんではいませんか? わたしにいえることは、ただ、おつかれさま。その ひとことです。
武田信子(たけだ・のぶこ)『社会で子どもを育てる』平凡社新書に であったとき、わたしは とっても よろこびました。よんでみて、いろいろと べんきょうになりました。武田さんは、つぎのように かいています。
(27ページ)
かつて日本では子どもを社会が、地域が育てていました。「親がなくとも子は育つ」のです。大切なのは、安定した人間関係を育てられる環境です。母親であってもなくても、その子を誰よりいとおしいと思い責任を持って育てようという人がいることが大切です。
ですが、現状では「日本の子育ては孤立しがち」な状況にあります(36ページ)。
まちを あるいていると、商店街などで、こそだてする親のネットワークのような とりくみを みかけることが あります。「子育てネット」というような なまえで、親の みなさんが あつまっているのですね。その ほとんどが おかあさんたちでしょう。
柏木恵子(かしわぎ・けいこ)さんの『子どもが育つ条件-家族心理学から考える』岩波新書を よんでいて、はっとしたことがあります。「「子育てだけ」が招く社会的孤立」という指摘です。
いくら「いい親」をしていても「自分が「一人のおとなとして生きている」という実感がないこと」、「社会から取りのこされてしまっている」と感じること、「「○○ちゃんのママ」「○○さんの奥さん」とだけで遇されていることへの不満」、「ひとりの固有名詞をもった存在として生きたい、遇されたい」という ねがい。
柏木さんは、つぎのように のべています。
(19ページ)
子育てしている母親には、自分自身が成長・発達するための時間や空間、活動などを保障することが必要です。これは日本社会の課題であり、のちに述べる子育て支援の重要なターゲットです。
親が成長・発達するとは、なんのことでしょうか。それは、この本の冒頭で説明されています。
(ivより)
…昨今、日本社会では「子どもをいかに育てるか」「どのように賢く育て上げるか」といった関心から、子どもの“育て方”がとかく偏重される傾向もあります。こうした、“育て方”への親の熱心な眼差しには、「子どもは自ら育つ」という重要な認識が往々にして欠けています。それゆえに、子どもの「育つ力」を奪ってしまうことにもつながっています。
と同時に、育てる側のおとな、すなわち親自身が成長・発達することが、実は子どもの育ちにとって重要であることも、今日の社会ではほとんど認識されていません。
ひとは、自分が価値ある人間だと、だれかに みとめてもらいたいのです。「それで いい」と、そっと いってもらいたいのです。たいへんだね。おつかれさま。
家庭という とざされた空間だけでなくて、もっと ひろいところで だれかに必要とされたいのです。社会に必要な存在であると感じていたいのです。その ねがいが かなわない状況では、ひとは孤立するだけです。
だから、声を かける。こんにちわ。おつかれさまです。
どこか散歩でも いきませんか。なにか、やってみませんか。
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