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あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

ひとは、ギャップに くるしむものよ。

 ひとは、ギャップに くるしむものなの。なりたい自分と現実の自分。過去の自分と いまの自分。期待されている自分と 現実の自分。ひとが しっている自分と、「ほんとうの自分」。しっくりこないし、ずれている。理想のまま ふるまえない自分に、無力感を あじわう。なやみたくはない。けれども、あたまを はなれない。


 けど、もういいよ。ギャップは ありつづけるものよ。ギャップが あるから、ひとは自分の位置を 意識できるの。ギャップが あるから うごけるの。ね。ふっきれてしまいなさいよ。さあ覚悟を きめるんだ。いきろ!


 もちろんね。よわねを はけば、あとずさりもする。こわい。つらい。しんどい。もう、そういった すべての感情は、いつまでも のこりつづけるわ。それを ぜーーんぶ肯定するの。それで いい。それが いい。それで いいから、ギャップに くるしむのは、もう やめて。


 「こんな わたし」だなんて いわないで。「そんな あなた」であっても、その あなたが なにを するのかが だいじなの。


…相手をみるとき、いつもそこには自分自身が てらしだされているのだということ。そして、相手になにを期待しているのかによって、そのひとの みえかたが かわってくるということ。勝手に想定しておいて、それとは べつの様相をみせたから、このひとは「この程度のものだ」という評価のしかたは まちがっている。だが、そういう ものの見方を、わたしたちは、よくもまあ日常的にしている。


「このひとは、こういうひとだ」が、かんたんに「こうあるべきだ」に かわってしまう。それで、「そうでも なかった」というふうに感じて、手のひらをひっくりかえして、評価をさげてしまったり。どんだけマッチポンプなんだろうか。


 他人から規定され、期待される すべてを 拒否し、自分を 自分で 規定する。きょーれつなエゴで 自分を 肯定するのだ。あなたの人生の主役は、あなたです。



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 hituziのブログ 無料体験コースを よみかえしていると、なやみごとが定期的に かいてある。それは すべて、自分のために かいたもの。きょうは ひとのために かきました。わたしも、としを とったのかしら。まだまだ おさない きもちで いるのに。
 ここに かいたことは、「上品ぶるな。天皇制を ぶっこわせ。」に共感してくださるような みなさまに むけています。あしからず。