先週、おかやま県 くらしき市にある 水島(みずしま)に いってきました。どんなところかは、水島 - ウィキペディアを みてください。
水島臨界鉄道というのが あったのですね。しりませんでした。倉敷(くらしき)駅から すこしだけ あるけば、臨海鉄道の倉敷市駅が ありました。
臨海鉄道の みずしま駅を おりて、さーーて どちらに いこうかと ぶらぶら あるきました。あてもなく。てがかりもなく。したしらべを したわけでもなく。
すぐに、ハングル(朝鮮文字)と漢字で「韓国商品専門店」と かいてある店が みえました。もう つぶれた店でした。残念です。
すこし あるくと、ミツビシの工場が みえました。川に そって あるいていると、ゆっくり およいでいる動物が みえました。ん? とみると、ヌートリアくんが のんびり およいでいるのでした。おもわず写真に おさめてしまいました。ヌートリアは、みたことない かたが ほとんどかもしれませんね。おかやまには たくさん います。カワウソくらいの おおきさのネズミですね。川を およいでいるのです。牧歌的な 動物です。よく畑の野菜を たべるのですけどねー。ヌートリア - ウィキペディア。
川のニオイが くさかったので、川を はなれて、てくてく あるきました。「焼肉 ホルモン 金さん」という店が みえたので、そちらに いってみました。きむさんが やっておられる焼き肉屋さんでしょうね。すると、すぐよこに倉敷韓国人会館という建物が みえました。在日本大韓民国民団岡山県倉敷支部も ここに あるようです。民団の岡山支部は 岡山駅から すぐのところに ありますが、倉敷支部は、倉敷駅からは はなれたところに ありました。
そこから、さて商店街を さがしてみようと 駅のほうに もどりました。10分ほど ゆっくり あるいたでしょうか。商店街の すじが みえてきました。なにやらマイクで はなしている声が きこえてきました。ちょうど、まつりを していたようでした。いってみると、まつりは ほとんど おわっていましたが、こじんまりとした まつりを していました。あとは、商店街を まっすぐ いってみようと、だいぶん あるきました。途中で「倉敷公害患者と家族の会 あさがお会館」や「水島地域環境再生財団」、「知的障害者地域支援センター」などが ありました。
みずしまに いったのは、みずしまが たくさんの在日朝鮮人が 生活している地域であることを、まえから きいていたからでした。民団の岡山支部の まわりには キムチを うっている専門店が みっつ あるのですが、みずしまは どうだろうと、キムチの店を さがしました。すると、「韓国食品 キムチ屋」という お店が みえました。まだ みずしまを あるくつもりだったので、とりあえず アオトオガラシだけを かいました。きいてみると、そのお店しかキムチを うっているようなところは ないとのことでした。つぎに いくときは、駅周辺を はなれたところを あるいてみたいと おもいます。かえるときに、白菜のキムチと きりぼし大根のキムチを かってかえりました。
歴史は、ひきつごうとする意思が あればこそ、ひきつがれていくものだと おもいます。ごまかしては ならないし、なにより、いま ここで ともに いきているひとたちの あいだで、差別が あってはならない。存在したこと、存在していることを みえなくさせる社会であってはならない。風化させない。わすれない。むきあいつづける。それは当然のことだ。その当然のことを、それが当然であることを、何度も何度も 確認していきたい。
(倉敷韓国人会館 よこに たてられた石碑。「韓国・朝鮮人 強制連行労働犠牲者 慰霊碑」「遠き祖国の地より、異国のこの地に強制連行されし尊い命の犠牲者の人達よ、その御霊安らかなれ」と あります。1996年に たてられたものだということです。)
つぎに いくときは、もっと しらべていきたいと おもいます。
関連リンク:
- はじまりはアリランから(水島における朝鮮人の歴史)
- 川端浩平(かわばた・こうへい)「在日コリアンをめぐる記憶と「郊外」 : 地方都市郊外(ホームタウン)における日本人の「廃棄」された記憶から」『多言語多文化 : 実践と研究』1、55-75
- クラッシュジャパン 水島の歴史
- 『亀島山地下工場―掘り起こされる戦争の傷あと』
- 戦時強制労働の調査
- 「強制連行」という言葉について - Arisanのノート
- 鄭大均「在日・強制連行の神話」を検証する(1) - 歌ったらアカン歌なんてあるわけないんだッ!