hituziのブログじゃがー

あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

ひこくみん(「日本人をする」のを やめる)。

 すばらしい記事が あります。

 はてなブックマーク - へー、こくさいじん?で、id:kmizusawaさんと やねごんさん(id:lever_building)の やりとりについて、かんじたことを かきます。


kmizusawa 「政府の見解はこうだ」「法律でこう決まっている」だけで物事が解決すると思ってる人っているよなあ。/国家国境無関係の思想は理想だが、ある国家の一員として加担の責任を問われることもあるよね。
lever_building id:kmizusawaさん。まったく そのとおりだと おもいます。理想は ともかくとして、現状では わたしが「国家の一員」としての 資格と 責任を もっていることは たしかですから。エントリと うまく 整合性が 保てませんが。
 げんじつとして、わたしが「国家の一員」であるということは けしさることが できない。じじつです。けれども、だからといって「日本という国家を 愛すべき」であるとか、「日本政府を 支持するべき」ということはない。


 もんだいなのは、「国民なのだから 日本を わるく いうな」とかいう、わけの わからない発想です。そんなわけないのですよね。そもそも、ものごとを 批判的に とらえる視点を もたずにいて、どうしましょうか。ましてや、じぶんが基盤を おいている社会についてのことであるなら、あれやこれやと、かんがえてみる価値が あるはずです。
 いまの げんじつが どのようであるかということと、社会は どのようであるべきか、どのような社会が ありえるかということは、きりはなすことが できます。


 「こくみんである」ということも、おなじです。アナーキストを なのっていても、「げんじつに」こくみんであることで特権的な たちばを 保持してしまっているのも じじつです。けれども、それは「しかたのないこと」ではありません。
 おなじように、社会の制度によって、こくみんが 移民にたいして特権的に ふるまっている げんじつが あります。けれども、それは「かえていくことが できる」ものです。社会の制度は、人間が つくったものですから、つくりなおすことが できます。改善することが できます。改善にむけて、議論することが できます。


 それなら、こくみんであるからこそ、ひこくみんになる必要があると いえるのではないでしょうか。こくみんであればこそ、その特権的 たちばを きりくずすべく 社会の制度を ゆるがしていく必要が あります。それは、わたしが こくみんであるがゆえの課題なのだと おもいます。


 ひこくみんを 自認することは、なにも「責任のがれ」のためではありません。むしろ、こくみんであることで、さけようもないくらいに つきまとってくる しがらみを、とりはらっていく作業です。その「しがらみ」のなかには、こくみんと移民のあいだにある制度上の差別も ふくまれています。

 うえの記事で やねごんさんは、つぎのように のべています。


不本意なことに わたしは 日本人と みなされることが あります。ただし、わたしは「日本人である」わけでは ありません。本質主義的に「日本人」を 規定することは できません。他者が わたしを「日本人」と みなすたびごとに、わたしは「日本人になる」のです。
 やねごんさんは、「「日本人」なるもの(の本質)は、「文化」でも「言語」でも「血統」でも 規定できませんよ」と かいています。そのとおりだと おもいます。ただ、「日本人である」ことや「日本人になる」ことよりも 重要な点は、「日本人として ふるまう」、つまり「日本人をする」ことの問題ではないでしょうか。


 「なにか」であること、「なにか」になることは、視点や文脈によって、さまざまなものに かわります。これは、いってみれば、「ものは いいよう」の世界です。


 ですが、「日本人として ふるまう」「日本人をする」のは、具体的な行為によるものです。もちろん、「日本人として」よりも「どのように ふるまうのか」が重要だという意見もあるでしょう。「なにをするのか」の問題だとも いえるでしょう。
 けれども、いつもいつも「こくみんとして」「日本人として」うごいたり発言したりしなくとも よいはずです。「それっぽく」「らしく」ふるまう必要は ないはずです。


 まず、認識を あらため、ひこくみんになることは たいせつな第一歩です。ですが、そこで とどまることはできません。それは、やねごんさんも つぎのとおり指摘されています。


じゅうようなのは、もろもろの 「こくみんこっか」の 連合から なる 国際社会と、国際社会からの 植民地解放を めざす われわれ ひこくみんたちの あいだの たたかいです。
 まず、ひこくみんになる。それが第一歩です。そのつぎに たいせつなのは、ひこくみんとして、どのように ふるまうのか。どのようにして、いまある社会の制度と たたかっていくのかということでしょう。


 杉本良夫(すぎもと・よしお)さんの『日本人をやめる方法』ちくま文庫asin:4480027769)でも とりあげられているように、日本の社会制度のなかで、まっさきに やめるべきものの ひとつが、戸籍制度です。さあ、みなさん、ひこくみんになって、戸籍制度と たたかいましょう。


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