ひとの はなしを きいた。
どこでも おなじだなあと感じる。そういうことって、どこでもあるんだなあ。その なやみというのも、ああ おなじような感覚が わたしのなかにもある。
ああ。
ひとごとだとは おもえない。鏡を みているようだから。そして、そのひとが みた 「いやなこと」のなかに、自分が いるようだから。
他人の問題として、こんなことがある、あんなことがあった、そんなふうに かたることは たやすい。けれども、そんなことはできないのだ。きりはなせない。わたしの問題なのだ。
問題の うずのなかに いるとき、ひとは必死だ。もがきもする。ためらいもする。あつくなったり、さめてしまったりもする。反省したり、あきらめてしまって、なれてしまうこともある。ぐるぐると、めぐりめぐる。ああ、わたしは なにを やっているのだろう。
どうして こんなことになるのか。くやしい。ふがいない。ないてしまう。
けれども、ないてばかりも いられない。
ああ、わたしを なにを やってきたのだろう。
すぎさったことは、わすれることができる。なにごとも なかったかのように、やりすごすこともできる。いまが だいじなんだと。いまのことを せいいっぱい やるんだと。しかし、自分自身を ごまかしとおすことはできない。そして やっぱり、反省しつづけるほどの つよさも ない。
ねむたい。ねる。