hituziのブログじゃがー

あべ・やすし。最近は ツイッターばー かきょーる。

ひとごとじゃないから。

 ひとの はなしを きいた。


 どこでも おなじだなあと感じる。そういうことって、どこでもあるんだなあ。その なやみというのも、ああ おなじような感覚が わたしのなかにもある。


 ああ。


 ひとごとだとは おもえない。鏡を みているようだから。そして、そのひとが みた 「いやなこと」のなかに、自分が いるようだから。


 他人の問題として、こんなことがある、あんなことがあった、そんなふうに かたることは たやすい。けれども、そんなことはできないのだ。きりはなせない。わたしの問題なのだ。


 問題の うずのなかに いるとき、ひとは必死だ。もがきもする。ためらいもする。あつくなったり、さめてしまったりもする。反省したり、あきらめてしまって、なれてしまうこともある。ぐるぐると、めぐりめぐる。ああ、わたしは なにを やっているのだろう。


 どうして こんなことになるのか。くやしい。ふがいない。ないてしまう。


 けれども、ないてばかりも いられない。



 ああ、わたしを なにを やってきたのだろう。



 すぎさったことは、わすれることができる。なにごとも なかったかのように、やりすごすこともできる。いまが だいじなんだと。いまのことを せいいっぱい やるんだと。しかし、自分自身を ごまかしとおすことはできない。そして やっぱり、反省しつづけるほどの つよさも ない。


ねむたい。ねる。


つづき:どなるということ。 - hituziのブログじゃがー