わからなくていい。つたわらなくていい。
自分でも意味不明なフレーズをまぜこめるんだ。無意味に断定しろ。そうかと おもえば あいまいに ごまかせ。
深遠な意味深長さは、「わからないフレーズ」にこそ、感じられるものなのだ。どうみたって内容がなく印象だけが さきんでていて、おかたい漢字や きらびやかなカタカナをならべたてただけの文章が、どれだけ もてはやされ、また、消費され、「解読」されていることか!
こむつかしく論じるのが あなたの趣味ではないならば、わかるような わからないような、そんな微妙なフレーズを、ちょっと かくし味のように、まぎれこませるのだ。
しかし、気をつけなさい。あなたに権力が なければ、知名度が なければ、無視されるに おわるだろうから。でもね。眉間[みけん]に しわをよせて かたちだけ深刻ぶった文章よりは、ましだろうから、べつに いいじゃない?
はいはい。
文章の意味は、著者が ひとりで つくりあげるのではなくて、読者と共同で うみだすものだ。どれだけ おおくのひとに よまれるか。どのような文脈で よまれるか。どれくらい熱心に よまれるか。いろんなことが作用する。たまたま評価されたり、ずーっと無視されたり、死んでから発見されたり。
意味をかいたひとが独占してしまうのではなく、もっと自由に もまれてよいはずだ。ひとりあるきは、無条件に わるいことではない。バランスをとればよいことだ。
想像力をたくましくしていただき、自由に散歩していただけるように、あいまいさをのこし、ぼやかして かく。つたえないことで、つくらせる。