ひさしぶりにスカイプで議論やら。程度のひくいはなし。
わたし「想像の共同体って ゆーやろ? あれは なにが想像ってことなん?」
あいて「国家はフィクションだって、そういうことちゃうの」
わたし「あんたも わたしも いっしょやってことちゃうん? わたしや あんただけじゃなくって、「わたしら いっしょ」ってイメージすることちゃうん。あなたが さっき ゆーてた「排除」ゆーんもな、そーゆーふーに想定することから ひきおこされるもんちゃうの。区別とか分離とか隔離がさきに なされるんじゃなくて。「わたしら いっしょよ」の発想で社会つくる。その結果として だれかが自動的に排除される。つまりは 社会のすみっこに おいやられる。そーゆーことじゃね?」
あいて「……。あたま ええな」
会話で、もっともらしく、いきいきと かたりまくると、あたりまえのはなしも なんだか すごいはなしであるかのように感じられる。…というはなしでした。
わたしはべつに、うえみたいな はなしかた しませんけどね(笑)。「あーに、くろにか むぉが さんさん でんごにゃごー」………ネコか!
いやー、そろそろアンダーソン『想像の共同体』を「まともに」よむときかなと、いまさら(笑)。あひゃ。そんときは萱野稔人(かやの・としひと)『国家とはなにか』とか小熊英二(おぐま・えいじ)『〈日本人〉の境界』もあわせて よみますけれども。バーテルソン『国家論のクリティーク』も おもしろそう…。
ともかく、なにごとも興味が わくまで ほっておくという方針で やってますもので。