hituziのブログじゃがー

ツイッターは おわった。もっぺんブログの時代じゃ。

パターナリズムが どうしたってんだ

いいですか。「ふみこむってことは、まじわるってことは、意図せぬ暴力をともなうものなの」(「悪魔の代理人」)。

支援すること、ケアすること、そこにはパターナリズムがあるだ、権力関係になっているだなんだのって、なにが いいたいのかしら。

あたりまえじゃないのよ、そんなこと。

そんなの、ふみこむ一歩手前で、たちすくんでいたら、みえてくるはなしよ。

でなに? パターナリズムは いけないって いうわけ? いいよ、いけないってことにしましょう。ええ。パターナリズムは いけません。

で、どうするの?

パターナリズムってのは、父親的に、おしえさとすようなことをいうよね。父親的に、本人の意欲的な行動にたいして、あぶないからだとか、こっちのほうが たのしいよって邪魔をすることをいうよね。

で? いらんことをするなと。はい。いいよ。

で? いらんことをするなで、すべては解消されるの? なやみは そこで なくなるの? そうじゃないわけでしょう。なやみは、つきるはずのないものよ。一度たちすくんだら、どこまでも わからなくなって、どうしようもなくなっちゃうものなのよ。

だからケアするひとが仕事から はなれていくの。まじめなひとほど、まじめになりすぎるの。

もうね、いいかげんにしてよ。なにがパターナリズムよ。わかったようなこと いってんじゃないよ。そんなもん、わかりきったはなしじゃないですか。

パターナリズムを自覚しろだ? そんなことをいうやつが いるとしたら、あきれて ものが いえません。

しかめっつらして、自覚して、反省して、自分をせめて、はいはい、どこまでやるの。

自分の手が よごれているだ、自分は悪だとか、一生いってなさいよ。自分で いいたいなら、いえばいいことよ。けどね、だれにも、そういうことをいわせるんじゃないよ。そんな いきどまりに、ひとをおいこんではいけないはずよ。

パターナリズム? そうね。たまには、たちどまってみるのも いいわ。けど、かんがえてみて、もう一度、ふみこまなくっちゃあ いけないの。


もうね、パターナリズムが どうしただなんて議論は ばかばかしく おもえるの。

誠実に いきるってことは、しかめっつらをするってことじゃない。誠実ってのはね。いい? その、んーっと。いや。そんなこと、いう必要もないことです。いつまでも、いう必要はないことです。


それでも いうとしたら。

それは。

こたえのない日常を、こたえをださないまま、いきぬくこと。自分のだした こたえに うらぎられ、ぬりかえし、また くつがえす。とらえきれない こたえをかかえて、あゆんでいくこと。

これからも、よろしく。