人が死ぬ。のこされた周囲の人は、とむらいの儀式をする。人の死を個人的なものとして とらえるなら、とむらいは周囲の人だけのものであり、部外者に対しては排他的な儀式であるといえる。けれども、当然のことながら人が死んだときに とりはからわれる作業は社会のシステムによって とりおこなわれている。
人の死を宗教的な視点からだけ とらえるのは一面的だろう。死体は、処理の対象でもあるのだ。「鳥葬の今」という記事があるので よんでみてほしい。「野生のハゲタカが遺体を食べなくなる現象が広がっている」とは、なんとも現代的ではないか。死体は「処理」の対象であり、鳥葬においては、死体は(ハゲタカの)「食料」でもある。
うえにリンクした記事は、「死体」が現代的な環境問題に密接にかかわっていることをおしえてくれる。
チャットでそんな話をしていると、いくつか本を紹介していただいた。『葬儀の歴史』、『死者たちの中世』。この2冊もなかなか おもしろそうなのだけど、なんといっても『火葬場の立地』は、グッとくるものがある。
死体というのは、なかなか興味のつきないものだ。臓器移植のために脳死が発明されてみたりね。
グーグル:「火葬場の立地」
リンク:「火葬研究協会」