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小説『図書館危機』

いま書店で やまづみの人気シリーズ第3作目。

有川浩(ありかわ・ひろ)『図書館危機』メディアワークス

今回は、図書館や言論の自由について かんがえさせられる場面はそれほど おおくない。物語としての おもしろさは かわることなく、たのしめる内容だ。

今回とりあげられていたのは、いわゆる「差別語」について。この小説のなかでは、メディア良化委員会によって きめられた「違反語」ということになる。

メディア良化法によって指定されているわけであるから、絶対的な効力をもつ。とはいえ、そのような状況でさえ打開策は みつかった。

一方、「指針として」作成された「差別語リスト」が現に もってしまっている効力もある。そのリストにのった表現をつかうことは、それほど困難であるわけではない。だが、一律的に さけられるのが いまの日本のメディアであると いえるだろう。もちろん、それが どのような語であるのか、どのような場面で、どのように つかうのかが とわれることであり、コインをひっくりかえして、ただ連発すれば よいわけではない。だが、主体性を放棄して「リストに のってます」「じゃあ つかうの やめとこう」などというレベルでは なさけない。

いまからしてみると、『ちびくろさんぼ』にかんする騒動は、くだらないばかりか、異様な光景であったといえる。どのような根拠にたてば、絶版をもとめるようなことができるのだろうか。内容が差別的だと おもうなら それを言論によって批判すればよい。それで すむことだ。

「オカマは差別語か」というのも おなじ。オカマは差別語だというのは、「わたしはオカマとよばれて侮蔑されてきた」ことを根拠にするものだろう。だがその背景には、「わたしはオカマと自称しない」ということもあるのだ。「わたしはオカマと自称する」というひとが現にいるなかで、「オカマは差別語」だとはいえない。いえるのは、「わたしをオカマと よぶな」である。

はなしをもどそう。

『図書館危機』で ぐっときてしまったのは、166-167ページと294-295ページのあたり。中島みゆき(なかじま・みゆき)の歌詞をおもいださせるような力づよさ。「宙船[そらふね]」とか「ファイト」ね。今回はとくに参考文献があったわけでなく、『図書館戦争』、『図書館内乱』とおなじとある。

シリーズは次回作で おわりだそうだ。メディア良化法の ゆくえは いかに。