hituziのブログじゃがー

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映画『シッピング・ニュース』

ケヴィン・スペイシージュリアン・ムーア主演。ふたりとも、はじめて みる俳優さんでした。って、『シッピング・ニュース』をみたのは、たぶん1年くらいまえだけど。ケヴィン・スペイシーの映画は、『ライフ・オブ・デヴィッド・ゲイル』をみましたよ。死刑廃止の映画かとおもいきや、これってサスペンス?という映画。ジュリアン・ムーアは、『めぐりあう時間たち』とか『マップ・オブ・ザ・ワールド』。どちらも はまり役。

シッピング・ニュース』てのは、「港町のニュース」のこと。新聞の印刷所などで地味な仕事をしていた よわきで、しがない中年おじさん。先祖のふるさとに おばと いっしょに ひっこし、そこで新聞社に入社。そこでコラムを担当するようになるのだが(てんてんてん)というはなし。しずかにながれる映画。音楽もわるくないし、まー、そこそこの内容だけど、おすすめするほどではない。

みていて たのしいのは、みだし(ヘッドライン)をかんがえるシーン。先輩記者に新聞の記事は みだしが大事なんだと おしえられて、日常のさまざまな場面で いちいち みだしをかんがえてみたりしている。写真家が、両手で四角をつくって風景をフレームにおさめてみたりするようなもんかな。

記事をほめられたりしながら港町で自信を回復していく、いや、自信を獲得していくさまが映画のメインテーマというかんじ。んー、どうなんだろう。地味に新聞を印刷する仕事では、自信をえることはできないのだろうか。いや、そんなことはないだろう。そういうはなしではないだろう。

ここで ふたつの視点が おもいうかぶ。ひとつは、職業に貴賎なしということ。理念としては、大事な視点。職業によってそのひとの価値が上下されるようなことは社会的にゆるされない。たしかにそうだ。けれども。たしかに、現に、楽な仕事と きつい仕事、汗ひとつ かかずにすむ仕事と まっかに ひやけしながら汗だくになってする仕事というのはある。そこは ごまかせない。だから、もうひとつの視点としては、しかしながら、現に職業には貴賎があるというのが あげられる。

人生いろいろ! 仕事もいろいろ!では すまないのだ。社会的格差をおおいかくすかたちでの「職業に貴賎なし」は うそっぱちであるということ。


みだしに はなしをうつしましょう。みだしというか、題名ね。これ大事。メールしかり(とくに、たくさんのひとがみるメーリングリスト!)、ブログの記事しかり、論文しかり、自分のパソコンに保存するファイルのなまえしかり。自分や他人が とりだせるようにしておくこと、読者をみちびけるようにすること。そして、それが魅力あるものにすること。

ここで最後にひとフレーズかんがえてみよう。と おもったのだが…。最近どーも ねむいのよーー。「みぎききのひとは魚をひだりむきにばかり かいてしまうの法則」。なんだよそれ。いやさ、ひだりから みぎに線をかくでしょ? だからひだりに頭をかいてしまう傾向があるのよねー。魚の絵にも筆順があるってことかなー。

はい、あさになって よみかえして後悔する文章の典型。映画となんの関係もないし。