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『心は実験できるか』

ローレン・スレイター『心は実験できるか-20世紀心理学実験物語』をやっとのことで よみおえた。

この1年ほど心理学についての本をあれこれ よんでいるけれども、この本が一番よかった。著者は心理学者/臨床心理士にしてノンフィクションライターだ。サイエンス・ノンフィクションってのは、よみごたえがあるもんですね。

著者は、10の心理実験を物語風に記述している。実験者や被験者、その実験の支持者や批判者など、さまざまな関係者に対してもインタビューをおこない、なおかつ、「自分」をその物語に うめこみ、自分の内省をまきこんでいくかたちで読者に かたりかける。

どれもが(すくなくとも心理学者にとっては)有名な心理実験であるだけに、手垢にまみれ、風評とステレオタイプにとりかこまれ、その実像は むしろ ぼやけてしまっている状態にある。著者は、その現状を把握したうえで、ちがった視点を提示したり、インタビューのなかで逆に提示されたりしながら、ふたしかで二分法ではわりきれない、さまざまな心理実験のもつ意味を模索し、なにが あきらかになり、なにが いまだ不明なのかを確認しようとする。

そのほとんどが、倫理的な観点から問題のあるものばかりなのだが、著者は「倫理的観点だけ」に たとうとはせず、人間というもの、生物というものが どのような存在であるのかを、実験結果から みつめようとする。それだけではなくて、「そのような実験が おこなわれたこと」をも、人間のありかたをみつめる手がかりにする。

この本であつかわれている すべてが実験室における心理実験というわけではないが、どちらにしても、心理実験/心理学の研究成果には、とほうもない疑問が いやおうなく あてがわれる。――「だから どうしたのか」と。そう、いちがいには いえないのだ。「それが どのような意味をもつのか」、「だったら、どうだというのか」については、人の数だけ意見が わかれてしまうのである。

この本で著者が とっているスタンスにしても、評価が わかれることだろう。心理学というものが、歴史的に、あるいは いま現在、どのように位置づけられるのか。わたしは どのように位置づけんとするのか。それをぬきにして、この本の評価は さだまらない。

読者に もとめられるのは、この本で かたられた物語だけに満足したり、なんらかの結論をだすことでは ないだろう。それぞれの研究結果が、どのようなかたちで社会で受容され、消費され、また、ひとりあるきしてきたのか。それをきっちりと把握していく作業ではないか。つまり、この物語を自分なりに うけとめたうえで、この物語では かたられなかったことを、自分なりに つむぎだしていくことではないか。

そんな めんどくさいことを…。とも感じられるだろうが、この本には それだけの魅力があるということだ。完結しえない物語をつむぎだしていく。それは、人が いきていくということ、人生そのものだからである。

グーグル:「心は実験できるか」 / 「完結しない物語」