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『悲劇排除システム』

業田良家(ごうだ・よしいえ)さんの『ゴーダ哲学堂-悲劇排除システム』をよんだ。

森岡正博(もりおか・まさひろ)さんの『無痛文明論』は まだ よんでないけれども、あつかってるテーマは共通してるようだ。

ゴーダさんといえば、やはり代表作は『自虐の詩』だろう(詩は「うた」とよむ)。典型的な共依存の関係(のんべぇの夫と ささえる妻)をえがきつつ、人生の賛歌をうたいあげた作品だ。

ネタバレあり↓。
結局、不幸な妻のほうが、妊娠して「親になる」ことで、わすれていた自分の母親の顔をおもいだして、ひとりで勝手に「人生には意味がある」だなんて結論づける。まぁ、こまった作品なのだが。けれども、最良の親友の熊本さんと再会するラストといい、後半の叙情詩モードは何度よんでも なける(あれは事実婚みたいなもんだろうが、夫と妻の関係ということにしとく←「結婚してなかったのでは?」という横やり対策。もとい、被害妄想的な先制防御)。

『悲劇排除システム』の内容は、『自虐の詩』よりは『詩人ケン』に ちかい感じがする。『自虐の詩』と くらべると、どちらも衝撃的な感動というものがないので、それほど衝撃はないし、とりたてて絶賛するほどの名作でもない。けれども、『排除システム』のほうは『自虐の詩』より社会をえがけている印象をうけた。べつに、社会をえがいた作品のほうが いいってわけじゃないけどね。『自虐の詩』は すきだし、評価してる。けれども、こまった作品でもあるってことでね。

悲劇を排除したあとに、なにが のこるのか。わずらしいこと、うつくしくないものを排除したあとに、なにが のこるのか。人がこれまで発見してきたものを、自分も再発見できるのか。なにかに注目し、あれこれ かんがえてみることの価値を、『悲劇排除システム』は えがいている。

悲劇? わずらわしいこと? うつくしくないもの? なんですか、それは。一体なんなのですか。自明ではないはずですよ。そう。そうなのです。それなのに…… それなのに、なのだ。それなのに、○○なのだ(○○は、テキトーな表現を各自あてはめるべし)。

なるほど、『自虐の詩』も『詩人ケン』も『悲劇排除システム』も、つながっているのだなぁ。


上記の感想文は、たまたま かいただけであって、「みなさん、これはオススメですよ!」ということではない。ひさびさに更新したんだから、よほど内容が いいんだろうとか、そういう誤解は なしね(笑)。すすめるなら『自虐の詩』かな。だって、衝撃的な作品のほうが、読者に かんがえさせるからね。

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