西原理恵子(さいばら・りえこ)さんの『いけちゃんとぼく』角川書店。
表紙に「はじめての絵本!」とあるが、絵本ふうのものは過去にたくさんあったので、はじめてという気はしない。新鮮みがあるわけでもない。
よんでみた。
なんで なけるのか わからない。なんだか、ふわりと やられてしまって、なけてしかたがない。かなしいはなしじゃない。だけど、せつないはなしではあるかもしれない。
サイバラさんの作品は、一見こどもむけのようなものが たくさんある。けれども、どうみても これは おとなむけだよなと感じられる場合がほとんどだ。この『いけちゃんとぼく』にしたってそうだろう。漢字がすくないのは たしかだけど、ふりがなは ふってないしね。
ここでは、文字づかいについては わきにおく。
作品の内容とそれを理解するということ、そして、えほんをたのしむということについて。
あいかわらずサイバラさんの絵はすてきだ。空や海の色。いえに こどもが いるサイバラさんの愛読者は、こどもにも みせるかもしれない。えほんをみせながら、よんできかせる。こどもは、よろこぶかもしれない。興味をしめさないかもしれない。じゃあ、よろこんだとしよう。なにをよろこんでいるの? きれいな絵をたのしんでいる? でてくるキャラクターに愛着をもっている? 「えほんをよんでもらう」ということをたのしんでいる? よんでもらいながら、そのひとと自分の関係に ここちよさを感じている?
なんだろうね。
ひとりで よんでいる わたしは、「こどもむけじゃない」だなんていって、へんな優越感にひたっている。ひとりで よんでいる わたしは、こどもらの たのしみかたというものをしらない。どんなふうに たのしんでいるのか。間接的にではあっても、いろんな「こどもの反応」をみききしたい。ミクシィのようなコミュニティサイトは、こんなときに、やくにたつ。
視点をずらす。ずらしてみて、自分の視点をふりかえってみる。えほんを、もういちど よんでみる。
青色が基調の『いけちゃんとぼく』に、オレンジ色がまじってる。やさしい水色につつまれて、オレンジ色をまっている。空がオレンジになったら、みんなオレンジにそまってた。
なんのことだか よくわからなくても、感じるものがある。わかるとか、わからないということに、とらわれていてはだめだ。