hituziのブログじゃがー

ツイッターは おわった。もっぺんブログの時代じゃ。

固定しようとしても

なにかを固定的にとらえ、その状態から ずれていくことを問題とする。ということについて。

外来種流入」を問題視するのも、そういった発想によるものだ。それにしてもさ、ヒト以外の生物にまで国境線をもうけて、こちらさんと あちらさんで区別しちゃうのか。あほほほ。じゃなかった、おほほほ。

んなもん、うごくに きまってんじゃん。飛行機とんでるし、船は あちこち うごいてるし。生態系が どうのとか、ヒトにとって どれだけ都合のよい自然環境であるかどうかだけが大事なんだから、「ニッポンの生物」が どうなろうと、どうでもいいじゃないのさ。ニッポンってなに? なんでもかんにでも国境線をひいてんじゃねーよ。たとえば「オクラ」って いかにも「日本古来」の野菜みたいに感じるかもしんないけど(そうでもないかな…)、あれは北アフリカ原産だぜ?

環境破壊っていっても、どんだけ地球が汚染されようとも、地球は太陽のまわりをぐるぐる まわりつづけるやないの。たいしたことではないのよ。だけど、それだけどヒトは たのしく いきていきたいから、ある程度は きれいな空気をすいたい、おいしい水をのみたいから、環境汚染は こまるなあってことでしょう。環境問題ってのは、人間のエゴによるエゴのためのエゴイズム宣言なんですよ。もっと環境破壊的に現代生活をたのしみたいエゴと、それよりは持続可能な生活に きりかえたいっていうエゴの対決。それだけのこと。

ヒト以外の いきものに、ニッポンだアメリカだなんて意識が あるわけねーじゃねーか。よごされて いやだとか、そんな意識も ねーよ。

人間中心主義を厳密に追求せねばなりません。ヒトのエゴをあくまで肯定しつづければ よいのです。その内実だけ、しっかりと検討すれば よいことです。生態系は あくまで「うごきつづけるもの」として とらえておけば よいのです。固定し、「こういうものだ」と きめつけてしまうから、「ズレ」が気になってしまうのです。