hituziのブログじゃがー

ツイッターは おわった。もっぺんブログの時代じゃ。

もっと だだっこになろう。でも、どうして?

どうして空は あおいの? どうして おかあさんは、スカートをはいているの? それなら、ぼくは ちょうちょかあ?

こどもは、いろんな疑問をなげかけます。

このように きりだした瞬間から、え、はたして それは、こどもだけだろうかという疑問をもってしまいました。どうしたら、いいでしょう?

これが、きょうの おはなしです。


こどもであれ、だれであれ、ひとは ふとした疑問をもちます。そして、こたえてくれそうなひとに、といかけます。けれども、納得のいく こたえが えられることは、あまりありません。自分で みつけなければならない問題も あるのかもしれません。

「結婚しようよ、ねえ?」

たとえば こんな質問をされたら どうでしょう?

結婚っていうのはまあ、ふたりで するものですから、ふたりで こたえをつくらなければなりません。どこかに ころがっているわけではありません。だれかが おしえてくれるわけではありません。

「どうして、わたしはガイジンって よばれるの?」

うーん。どう こたえましょうか。わたしは あなたをガイジンって よんだ? よんでないよね。だれが あなたをガイジンって よぶの? そのひとに、きいてみてね。

適切なこたえのようで、つきはなした いいかたのようにも感じます。けど、まあ いいでしょう。

「どうして みきくんと いっしょの学校に いけないの?」

………。

くちふうじされた「どうして」が、なかったことにされた「どうして」が、あまりにも たくさんある。

どうして?

それは、いまの社会のありかたが「あたりまえ」だと信じられているからです。想像力が はたらかず、しかたがない、これが当然だと、社会は、わたしたちは、現状を維持します。でも、わたしは いやです。だだっこになりたいです。いろんな ありかたをさぐってみたいです。

だから。おねがいをします。

よりたくさんの「どうして」をはきだしましょう!

どうしてをはきだせば はきだすほど、この社会は ゆれうごきます。ちがったありかたがイメージされます。そぼくな感覚を大事にしましょう。ふとした疑問をかたりましょう。

ひとつの「どうして」をおしだまることで、わたしたちは またひとつ、想像力をうしなってしまいます。もうひとつ「どうして」をなげかけることで、わたしたちは、コミュニケーションへと ひらかれていきます。対話へと いざなわれていきます。

ひとこと のべて、そして、その直後に「ほんとうにそうだろうか」と疑問におもうくらいの いきごみがなければ、なにをかたることができましょう。

小学生のころだったろうか。ひとつのカセットテープをきいた。近所のだれだれさんは「スカートをはいているから おんなのこ」だという説明をきいて、わたしは、「それなら ぼくは ちょーちょかあ?」と きいていました。

そんなら ぼかあ ちょーちょかあ?をうけとめる。そんなひとに、わたしは なりたい。

どーして?