hituziのブログじゃがー

ツイッターは おわった。もっぺんブログの時代じゃ。

学校生活と その後の生活

今年でた本では、やっぱり『不登校、選んだわけじゃないんだぜ!』が すこぶる いい(貴戸理恵=きど・りえ/常野雄次郎=つねの・ゆうじろう、理論社)。

貴戸さんは去年『不登校は終わらない』って本もだしてたけど、あれは修士論文をもとにしてた。今回のは、だれにでも わかりやすい文章で、「自分」を全面にだした感じかな。もくじだけでも感動できる(感動するな!笑)。
(1)理由なんて、どうでもいい!
(2)矛盾してても、ぜんぜんいい!
(3)選んだなんて、言わなくていい!
(4)ハッピーエンドは、もういい!
(5)わからなくて、いい!
いいでしょ、これ。他人が、否定されがちな だれかを肯定するということ。その むずかしさ。肯定された本人の もどかしさ。他人に自分のことをことばにされ、ことばにさせされる。いつの間にやら ひとりあるきする「わたし」。社会的弱者、少数派のことをかんがえるなら、この本は よんでおいたほうが よさそうですよん。


近代の産物としての「規律」「競争」「健康」そして「標準」。あれやこれやが学校文化をつくりあげてきた。いうなれば優生学的教育思想。不登校が病理として あつかわれるなんてのは、まぁ必然的なことだったんでしょうね。ねっこにあるものが、優生思想なんだもの(話に無理がある気がしないでもない。笑)。

ここから、無意味に自分史モード(笑)。
学校生活で いちばんイヤだったのが宿題。とくに夏やすみの宿題。とてもじゃないけど、やる気にならない。もうすぐ夏やすみが おわっちゃう…と、ゆーうつになりながらテレビをみてた小学校時代。中学は、なぜか「名門公立中学」(謎)。あほみたいに宿題だらけ。でも やる気なし。高校は自由気ままで教員も学生も変人だらけ。たいして宿題もなし。あれは たすかった。高1のとき、なぜか『アメリカインディアン悲史』をよむ。すこぶる影響をうける。高3になって、なぜか週末かかさず駅前の図書館に かよいだした。古本をかいはじめたのも高3のとき。テレビで沖縄の方言札のことをしって衝撃をうけたのが17才のときだった。大学入試は英語と国語の試験だけで合格。本をかいあさり、図書館にかよう生活を大学4年間つづけた。さらには学部の1年のころから なぜか学問にめざめ、大学院にまで いった。いま おもえば、どーかしてる(笑)。小学生のころは、たしかに本ばかり よんでたけど、なんで こんなことに(笑)。

ひさしぶりに かいたら、シリメツレツ。なんだこれ。

グーグル:「肯定するということは」 / 「二分法の罠」
リンク:「名門公立中学校」くっちゃんねる第4