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映画『春が来れば』

ここのところ なぜか つかれていて、朝さめても からだが けだるい。ねるまえには、ひどく おもたい。この1週間は、どうにも しんどい。はやいこと4月の中旬くらいに なってほしい。

まあ、そんなときはバランスをとるために いつもなにか対策をとるのだが、今回は映画をみることにした。映画というのも、タイミングに左右されるもので、そのときの気分で、感動したり、つまらなかったり。店にいけば、たくさんの映画が ならんでいるわけだけれど、そのときの気分をみたしてくれそうな映画というのは、そうはないのです。最近も、あれこれ みているが、かきのこすほど よかったものはない。

エドワード・ノートンが でているものをみようかと おもったが、チェ・ミンシクの映画にした。

原題は、『花のさく春がくれば』。しがない音楽家がイナカの吹奏楽部の講師になって、というはなし。「チェ・ミンシクの映画」というだけで えらんだのだが、はからずも、わたしの今にシンクロしていた。

リチャード・ドレイファスの『陽のあたる教室』だとか、キアヌ・リーブスの『日だまりのグラウンド』の設定に にている(どちらも すきな映画)。というか、映画としては よくあるはなし。

展開も、みるものに その都度すこしずつ示唆しながら すすんでいくので、あぁ、最後は、こうなるんだな、このひとは、あーなっちゃうんだなと予測できるようになっている。定石どおりの映画なのだが、それぞれの登場人物と、その関係、人間模様が魅力的だ。

音楽がひとつのカギとして つかわれているのに、ときどき大事な場面で、たいしたことのない音楽が つかわれていたりもする。けれども、全体としてみたとき、うまくバランスがとれているように感じた。

「春が こなければいいのに」「いえ、そんなものだと おもいますよ。おとずれては すぎさり、そのくりかえしで」というような会話があり、ひどく なけてしまった。薬局の おねいさんが あれだけ魅力的じゃなかったら、そんなことは なかっただろう。

型に はまった映画のよさも、やっぱりあるのですね。ひさしぶりに、いい映画に めぐりあえた。


最近みたいのは、『ゆれる』。尾形イッセー(おがた・いっせー)の『太陽』もDVDになったみたいだ。チェ・ミンシクの『クライング・フィスト』も みたい。