hituziのブログじゃがー

ツイッターは おわった。もっぺんブログの時代じゃ。

映画『ペパーミント・キャンディー』の文脈

タカマサさんにコメントをいただいた。反応してくれるのでは?と おもっていたので、うれしゅうございます。

まず、わたしの文脈をかたることから はじめよう。『ペパーミント・キャンディー』について かんがえながら想起していた映画は『殺人の追憶』だ。『殺人の追憶』は、じっさいに80年代の韓国で おこった「連続婦女暴行殺人事件」をえがいた映画である。犯人が いまだ つかまっていないだけに、観客の興味関心は、「犯人はだれなのか」に むけられる。映画自体も、そのように おもわせるように つくられている。とても、よくできた映画だ。しかし、「犯人はだれなのか」に注目を集中させることによって警察の暴力に免罪符をあたえている。くわしい映画評は つぎの機会にゆずるが、ともかく、『殺人の追憶』をみることで、わたしのなかでは「暴力がいかに免罪されるか」という着眼点が できあがっていたわけである。

それにつけくわえ、ヨンセ大学メディア研究所編『ハッカ飴[パッカサタン]』に収録されたキム・ソヨン「‘われわれ’のなまえで わたしをよばないで―「パッカサッタン」と差異の政治学」をぱらよみしたという事情もある。映画評論家として活躍するキム・ソヨンは、日本の雑誌にもいくつか論考が翻訳・紹介されている。上記の論考も、書誌情報が しるされていないが、『現代思想』に掲載されたものだという(時間をみつけて『現代思想』の収録号をみつけたい)。キム・ソヨンの評文は、フェミニズムの視点から解読するというものだ(「免罪符」についても批判的に論じられている)。

イ・チャンドン監督作品は、『グリーン・フィッシュ』と『オアシス』をみたことがある。『グリーン・フィッシュ』はそれほど ぱっとしないが、ラストの情感には感じるところがあった。『オアシス』にかんしては、それほど肯定的に評価する気にはなれない。いずれ『オアシス』にも ふれることにしよう。わたしのなかでは「イ・チャンドン監督が社会派? ほんとに そうかな」という懐疑的な先入観が できてしまっている。

ペパーミント・キャンディー』にたいして わたしが批判したいのは ふたつだ。ひとつは、主人公を免罪することは、かれの被害者をわすれることであるということ。もうひとつは、あの「クァンジュ」がなかったら、ヨンホは純粋でありつづけたか? そうではないだろうという点だ。その疑念には、韓国の家父長性的権力にたいする認識が背景にある。イ・チャンドンはクァンジュに原因をもとめる(インタビュー183ページを参照)が、わたしはクァンジュは現代韓国における国家暴力の歴史の象徴のひとつだとみなす。

「大事件」ばかりに とらわれていては、「ささいなことに ひそむ暴力」が みすごされてしまう。それを問題化したのが韓国『当代批評』誌における「日常的ファシズム論」であろう。その問題意識は、『当代批評』を主宰するムン・ブシクの著書『失われた記憶を求めて―狂気の時代を考える』(現代企画室)をよんでも つたわってくる。国家暴力のさなかに いきるものは、暴力の被害者でありつつも、暴力の にないてとして、すでに国家暴力に同化してしまっているのである。国家暴力を批判しつつも、半分だか どれくらいだかは、その色にそまっているというジレンマ。それを問題化してきたのは、ムン・ブシクのような反省的知識人であり、フェミニストたちであった(日常的ファシズム論については、水野直樹=みずの・なおき編『生活の中の植民地主義』収録チョン・グンシク「植民地支配、身体規律、「健康」」でも紹介されている)。

「クァンジュ以前/以後」という かきかたをしたが、「『ペパーミント・キャンディー』以前/以後」という くわけもできる。たとえば、人気ロックバンドであるユン・ドヒョンバンドは、この映画に触発され映画と同タイトルの歌をつくった。自己主張しない歌詞であるが、この映画の内容が真摯に うけとめられたであろう手ごたえがある。

公開当時 韓国にいたわけでないので、社会の反応は伝聞でしか しらないし、その伝聞も記憶に のこっていない。ともかくヒット作であったことは まちがいない。

ここから以下は、ウェブ上の文章を紹介することにしたい。「光州民主化の精神を伝える表現者たち◆映画『ペパーミントキャンディ』◆ドラマ『砂時計』『第五共和国』」という記事がある。ひじょうに参考になる。

タカマサさんのコメントにある『五月―夢の国』をつくった監督が『選択』という映画をつくっている。韓国の実在する非転向長期囚をえがいた映画だ。以前にもリンクしたが、『ハンギョレ21』誌に掲載された監督/脚本家のインタビューがよめる(「[映画] 不和の時代, 暖かい響き」)。

非転向長期囚については『送還日記』というドキュメンタリーが つくられており、森達也(もり・たつや)による解説本が出版されている(森達也 編著『送還日記』)。

『五月―夢の国』にかんしては、ソチョンのホームページ 韓国映画とハングル内の記事「五月―夢の国」を参照。このサイトには、当然ながら『ペパーミントキャンディー』の記事もある(「ペパーミント・キャンディー」)。「映画の主人公と同世代の40代以上の観客を数多く集めたのも話題となった」とのことだ。

ペパーミント・キャンディー』をみたあと、日常生活にもどった「同世代」のひとたちに、どのような変化がもたらされたのだろうか。興味ぶかいところだ。


それでは、これくらいに。