このブログも、1日に20から40のアクセスがある。記事をかいた日のアクセス数が たかいのは、RSSリーダーをつかっている人と、「最近投稿された新しい記事」から とんできてる人がいるということだろう。
グーの無料コースだと1日あたりの単純アクセス数とIPを判別したアクセス数をおしえてくれる。こちらから このブログをおしえた人が何十人か いるわけで、ある程度は だれが よんでるのかというのは自分でも わかっている。だけど、だれが、いつ、どのように、なにをかんがえながら よんでいるのかというのは わかるはずもない。コメントが あれば、やっとこさ反応として かえってくるだけだ。
ここ最近かいてる記事は、どれもこれも かいてる自分が こっぱずかしくなるような文章だ。「これが自分だ」という意識と、「こいつは変だ」という意識が自分のなかで いりまじる。これが、まさに自分だけが よむ日記であるなら、そんな感情は うまれないだろう。どこかで読者=他人を意識しているからこそ はずかしいわけだ。
このブログのスタンスは、せのびをしない文章、地にあしのついた文章をかくことだ。わたしは大学をでて そこそこのころから研究論文というかたちで活字の世界に あしをふみいれた。自分よりも10才20才 としの はなれた人たちと あれこれ話をするようになった。論文で かいてる内容というのも、自分のことばだ。それは たしかだ。でも、もっと肩のこらない話もしたい。いってみれば「いきぬき」だ。でも、それだけじゃない。「これも自分だ」という意識が たしかに ある。この意識が、「みえない他人」への意識よりも まさっているからこそ、ことばに できている。結局は、「たしかな自分」というものを、どれだけ しっかりと つくりあげていけるか どうかだ。
グーグル:「他律規制」