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だれかの生活空間であり、かつ、だれかの職場であるということ

入所施設の問題について かんがえる。わたしの職場は知的障害者の入所施設だ。以下、「利用者さん」とは施設を利用しているひと、入所者のことをさす。

わたしの職場は人里はなれた山奥にあるわけではないので、「施設」といっても それほどに「とざされた空間」ではない。いやむしろ、あるひとたちにとって、とても開放的な場所である。研修生だ。

テレビのある「みんなの部屋」でマスターベーションをする。それは、わるいことだろうか。わるいことだなんていう概念がないひともいて、そういうひとだから入所施設に「いれられている」のだし、法的には処罰されないのだ。

施設にもプライベートな空間があり、そこで自由にマスターベーションできればよい。それがベストだ。

利用者さんのなかにも、知的能力と感情の波の面で、あれこれ差があるわけで、「こら!」などと だれかのマスターベーションをしかりつけることがある。そして、それでいながら自分は すき放題やっているということもある。

環境セクハラという問題もあると感じる。女性の実習生がいるなかでマスターベーションを放置するかどうかといったことだ。わたしは いつでも放置しているが。

だが、本来ならば自分だけの空間があればよいのだ。オープンなところでマスターベーションをするひとがいれば、それをみなければよい。めをそむければよい。その程度の娯楽がなくて、なにが利用者本位のサービスといえようか。

生活するひととしては、私的な空間であるにもかかわらず、そこを職場とするひとにとっては、そこは あきらかに、公的な空間である。実習生に あれこれ説明するようなとき、「施設の論理」で行動するわけにも いかない。だが、施設とは こういうところですよというのを、ありのままに みせるのが当然だという意見もある。いつもハダカでいるひとがいるとして、そのひとの自由にまかせるのか、どうかなど。なぜに実習生は、ハダカをみないといけないのか。いや、ハダカが どうしたんだよ?という観点にたつこともできる。

プライベートな空間であるのだから、すべてが許容されるべきだ。生命の危険にかかわることでなければ、なんでも やっていいことだ。

利用者を意のままにしようとしてはいけないと、ベテランの職員が いっていたが、まさに そのことだ。生活支援員は、あくまで、生活の おてつだいさえすればよい。利用者さんがマスターベーションしていようと、それが みたくないものであっても、そのまま うけいれるのが当然だ。それは、プライベートな空間を提供できていない、サービス提供者の問題であるのだから。