「不登校の当事者の親なんです」まぁ、こんな話。当事者って だれだ? せまく定義するのか、ひろく定義するのか。「被害者」をさすのか、「おまえこそ当事者だ!」というのか。当事者が、自分をまもるための表現であるなら、自分をおびやかす可能性のある人は、みんな当事者ではない。あるいは、問題の原因や要因をさすのなら、当事者は「たったひとり」では ありえない。
「親も当事者でしょう」
『不登校は終わらない』という本をめぐる議論が一部で もりあがっている。あれやこれや議論の参考になるので、Freezing Pointというブログの2005-05-26 レポート 『不登校は終わらない』(3)のリンクをあれこれ ご覧あれ。
豊田正弘(とよだ・まさひろ)さんの「当事者幻想論」も必読。わたしなんかは、究極Q太郎(きゅうきょく・きゅうたろう)さんの「なぜか、そこに。」(『現代思想』2004年5月号)なんかが すきだ。
『べてるの家の「当事者研究」』(医学書院)も おすすめ。この本がいいのは、医者のインタビューも すごい おもしろいこと。ところで、「精神障害をめぐる問題には、ほとんど無関心な人たちが、べてるの家だけには注目して もちあげてるのは なぜ?」という趣旨の提起もされてますので「いいとこどり」だけしてちゃ いけませんけども。それって、都合よく消費するってことに ほかならないわけですから。って、不登校の話もそうだな。
グーグル:「当事者」