丸山康司『サルと人間の環境問題―ニホンザルをめぐる自然保護と獣害のはざまから』昭和堂という本がでている。
たちよみして もくじをみただけだが、「自然」概念を、ちょっと ほりさげてみたくなった。まえまえから興味はあったのだけど、ては つけていなかったものでね。
以下、検索で みつけたものを列挙。著者名は、略します。
『翻訳の思想―「自然」とNATURE』ちくま学芸文庫
『一語の辞典 自然』三省堂
『神と自然の科学史』講談社選書メチエ
『「自然」概念の形成史―中国・日本・ヨーロッパ』農山漁村文化協会
『自然概念の哲学的変遷』世界思想社
『自然観の変遷』学術図書出版社
『自然の文化人類学』東京大学出版会
『自然と文化の人類学』八千代出版
『自然観の人類学』榕樹書林
『科学と自然観』東方出版
『近代的自然観と哲学―現代の科学と哲学』農山漁村文化協会
『科学は「自然」をどう語ってきたか―物理学の論理と自然観』ミネルヴァ書房
もっともっとありそうだねえ。アプローチも、翻訳語論、文化人類学、科学史/科学論、哲学、エコロジーなどなどと、いろいろあるようで。自然になにを対比させて議論しているのかにも よりますしね。
てもとにある文献では、『人類学のコモンセンス―文化人類学入門』収録の小田昌教(おだ・まさのり)「自然―ケニア人は自然の風景を見るか」と、柳父章(やなぶ・あきら)『翻訳語成立事情』の7章「自然―翻訳語の生んだ誤解」だけ。ううむ。
まあ、それだけに『サルと人間の環境問題』は おもしろそうだったのよね。どのサイトにも、くわしい もくじが のってなくて残念。
ところで、「自然観」ということばには、すでに「自然」を客体視する自然観が ふくまれているよね。 / けどさあ、「ここも宇宙だよ」(マンガ『プラネテス』のフレーズ)みたいな、「わたしたちも自然の一部」ってのも、いまでは陳腐になってしまった観もあるがね。 / って、ちゃぶだい ひっくりかえさなくても いいじゃないか(笑)。
たとえば「里山は自然であるか」って、なかなか だいじな といであろうと おもうけどね。どうですか。/ まあね。そんな、もしかしたら不毛な こたえさがしのために、自然概念をといなおすわけじゃないんだろうけど。 / それでは、なんのためですかっ。 / そんなの、あたしに きかれても こまるんだからねっ。(………。 / いや、つい…。)