1. いまは、こうなっているが、その必然性はないのだと指摘すること。ほかのありかたも ありうるんだと言明すること。
2. だけど、序列が めばえてしまうのは、さけようがないのではないかと おもいあらためること。
どちらも必要である。しかし、3.「さけようがないから、それもまた結局おなじ構造をうみだす」というはなしにしてはならない。
先見の明は、さきをみすぎていても だめで、「めのまえ」をみていても だめだ。
あがきつづけることで、変化をつくりだしていく必要があるから、理論をくみたて、はなしを整理し、主張をおこなうのだ。徒労感と絶望にまどろむために、あえてふみこむのではない。「そのさき」が たとえ みえなくても、いまは それでいいのだ。